終戦後にサハリン(樺太)から引き揚げられなかった残留日本人やその家族を対象にした政府の一時帰国事業の参加者が激減している。ロシアによるウクライナ侵攻の影響で日ロ間の直行便は運休したままで、今回の事業で帰国した8人は、中東経由で2日間かけて移動し、19日に日本に到着した。長時間移動ができず、家族との対面がかなわない永住帰国者も多い。「サハリンがあまりに遠い」。残留邦人や樺太出身者は、戦争の早期終結を切実に願っている。(北海道新聞2023/5/21)
今回の一時帰国事業には、残留邦人4人とその家族4人が参加。このうち6人が道内入りし、6月中旬ごろまで札幌市や函館市の親族の家に滞在する。
サハリンから永住帰国し、札幌市内に住む奈良節子さん(81)は20日、ユジノサハリンスクから一時帰国した長女エレーナさん(53)夫婦とともに札幌市南区の霊園内にある共同墓地を訪れた。疲労の色をにじませながらも、墓前で静かに手を合わせたエレーナさんが、サハリンを出発したのは17日午前。アラブ首長国連邦のアブダビなど3都市を経由し、19日夜にようやく新千歳空港に到着した。
2011年に永住帰国した奈良さんは、19年までは2年に1回の頻度で家族を呼び寄せていた。しかし新型コロナウイルス禍やウクライナ侵攻により行き来は途絶えた。エレーナさんが一時帰国するのは5年ぶりだ。
サハリンには今も子や孫、ひ孫が住むが、長らく会えていない。コロナ禍でユジノサハリンスクからの直行便は20年から運休。ウクライナ侵攻の長期化で直行便の運航再開はめどすら立たない。道内とサハリンを結ぶ海上の旅客航路も途絶えており、奈良さんは「戦争が家族をばらばらにしてしまった」と嘆く。
1990年度に始まった政府の一時帰国事業。NPOなどに委託し、2022年度までに278人が永住帰国、延べ3445人が一時帰国した。だが、直行便がなくなって以降の参加者は今回を含め16人だけだ。
厚生労働省の委託を受けて事業を行う日本サハリン協会(東京)の斎藤弘美会長は「体力のない高齢者は参加すらできない。親族に会えないまま亡くなる人もいる」と指摘する。
一方、道内に住む樺太出身者による墓参も既に途絶えている。全国樺太連盟(21年に解散)の辻力元常務理事によると、元居住者が地域ごとに行っていた墓参は、会員の高齢化などによる連盟解散後は中止に。北海道日本ロシア協会主催の渡航事業も19年を最後に止まっている。
樺太中西岸の恵須取(ウグレゴルスク)出身の渡辺良洪さん(78)=江別市=は11年から5年間、故郷への墓参に参加した。「どこに何が残っているかは上陸して自分の目で見ないと分からない」。子どもたちに自分の生まれ故郷を見せてあげたいと考えていたが、墓参が途絶え、直行便もない現在では現地に赴くのは難しいと考える。
渡辺さんは「元島民も80歳を超えた人が多い。もう一回くらい樺太に行きたかったが、戦争が続く限りは無理だろう」と肩を落とした。(武藤里美)
<ことば>サハリン残留日本人 旧ソ連は1945年8月9日に対日参戦し、日本領だった南樺太(現ロシア極東サハリン南部)に侵攻。大半の日本人は引き揚げたが、残留せざるを得なかった日本人もいた。厚生労働省は、こうした日本人やその子供らを「樺太残留邦人」とし、一時帰国者の旅費や永住帰国者への年金などを支給している。
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