「サハリンの歴史」から–。1945 年 8 月 29 日(※択捉島侵攻の翌日)、択捉島では揚陸指揮官ブルンシティン海軍中佐の上陸部隊が日本兵を武装解除し、降伏を受け入れ続けた。敵兵は抵抗しなかったが、赤軍兵士は「降伏した日本兵全員を受け入れるにはわが軍の兵員が不足している」と報告した。この時点で6,000人の日本兵が武器を置き、さらに3,000人が列に並んで待っていた。択捉島占領を命じられた空挺部隊は、2隻の掃海艇に乗った177名と166名にすぎなかった。島の日本兵1万3,800人以上からなる第89師団をわずか343人で武装解除しなければならなかった。(sakhonline2023/8/29)
コメント