旧ソ連軍の北方四島侵攻伝える「進駐綴」、歴史的価値は 専門家に聞く

 【根室旧ソ連軍が1945年8月に北方四島に侵攻を開始して78年が経過する中、侵攻後の四島の様子を伝える道の文書集「千島及離島ソ連軍進駐状況綴(進駐綴)」の価値が改めて関係者に注目されている。書籍として出版を監修した京都外国語大の黒岩幸子教授(日ロ関係)と、過去に根室振興局主催の進駐綴に関する企画展を開いた根室市の谷内紀夫北方領土対策専門員=国後島元島民2世、元根室振興局副局長=に、文書の価値について聞いた。(北海道新聞根室版2023/9/1)

■客観性、中立性高い公文書 京都外国語大教授(日ロ関係)・黒岩幸子さん

 「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」の価値が高いのは、ソ連による北方領土の各島、各地の占領の第1報が公の文書として残っている点です。四島に住んでいた人や、根室の行政関係者などがソ連軍の侵攻時、状況をどう受け止めていたかもわかります。

 島の首長や漁業界のリーダーなどの公的な連絡が多く含まれている点も重要です。元島民の体験談も大切ですが、公の立場にある人による報告は中立性が高く、重みが違います。

 ソ連軍の略奪行為も報告されています。ただ、資料を読むとソ連軍は比較的穏健に地域を管理し、選挙まで実施していることがわかります。ソ連軍には北方領土を統治するという明確な意思が感じられます。

 従来、ソ連軍の四島上陸は北方領土返還運動に結びつけて語られることがほとんどでした。多くが「平和な島に土足で入り込んだソ連が、不当に島と海を奪った」という政府見解に沿ったエピソードです。

 「進駐綴」を読むと、終戦直後、北方領土の占領行為は必ずしも現在考えられているような不当な侵攻とは認識されず、「戦勝国が島を占領しに来た」という認識も多かったこともわかります。資料のタイトルもソ連軍の「侵攻」や「占領」ではなく「進駐」で、比較的中立的です。

 資料は政府が重要文書として保存して良いくらい貴重。道が長年保存し、今も公開していることにも価値があります。2019年出版の書籍は「進駐綴」の資料をすべて写真で収めています。これにより研究者などの手に届きやすくなった意義は大きいでしょう。

 当時の状況を客観的に知る意味からも、多くの人に読んでほしい資料です。わかりやすい現代文にして、誰にでも理解しやすいようにすることも必要です。

■内容詳細、後世に残す意図 根室市北方領土対策専門員・谷内紀夫さん

 根室振興局の副局長時代に取り組んだ2015年から3年間の「北方領土遺産発掘・継承事業」で、「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」を知りました。

 島の役場と根室支庁との緊迫した通信や、脱出直後の聴き取りなどの資料の現代仮名遣いへの変更作業を通し、侵攻直後の島の状況が臨場感をもって伝わるすごい内容だと思い、展示会を根室管内で開きました。

 資料を読むと、当時の根室支庁ソ連軍の侵攻と占領の経過を可能な限り詳細に聴き取り、後世に残そうした意図が感じられます。脱出した島民の人数や島に残る定住島民だけでなく、現地除隊になった軍人、出稼ぎ者の人数把握、細かな食糧配給基準まで、詳細な聴き取りを残しています。

 占領下でありながら、島の役場や漁業者が、島にとどまることを前提に物資の確保や根室との往来機会の確保にむけて知恵を絞り、ソ連軍と交渉して根室側との交易を認めさせていたことは驚きました。

 北方領土問題の端緒となったソ連軍侵攻と占領、ソ連編入に伴い社会主義へ移行する過程で、何が起きたのか。島民の体験や行政の対応などを記録した唯一の歴史文書として、広く知ってもらい、後世に伝えるべきだと考えています。

 資料の内容は、広く知られているとは言い難い状況があり、解説を含めて定期的に企画展を開催すべきです。例えば、返還運動強調月間の2月か8月に、ソ連軍の侵攻から占領、統治へ至る過程を整理して、分かりやすい解説を添え、実物公開を含めた企画展が開催できないでしょうか。

 電報の実物21通のうち少なくとも14通が海底電信線陸揚庫経由で伝えられた事実から、陸揚庫とセットにした展示も考えられます。

<ことば>千島及離島ソ連軍進駐状況綴(進駐綴) 旧ソ連軍が北方四島へ侵攻を開始する直前の1945年8月17日から46年7月4日までの北方四島の状況を伝える道の公文書集。各島からの緊迫した状況を伝える電報や、引き揚げ者からの聞き取りの記録など72点が含まれる。侵攻直後、根室の行政機関は市内の落石無線局や海底電信線陸揚庫などを通し、四島からの連絡を受信した。進駐綴は根室支庁(現在の根室振興局)が保管してきたが、1992年からは道立文書館で永久保存されている。2019年に出版された書籍「戦後千島関係資料」(ゆまに書房)に収録された。(松本創一)

 

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