ロシアが北方領土・貝殻島の灯台に設置した十字架(サハリン・クリル通信より)
ロシア極東サハリン州の地元メディアは5日、北方領土・歯舞群島の貝殻島灯台にロシア海軍がロシア正教会の十字架と聖像画(イコン)を設置したと伝えた。貝殻島灯台を巡っては7月下旬からロシア側が実効支配を誇示するような動きが相次いでいる。(北海道新聞2023/9/6)
報道によると、12人で構成するロシア海軍の「遠征隊」が貝殻島にイコンを運んだ。ロシア正教会ユジノサハリンスク・クリール教区の関係者は「イコンは日本を向いており(日本の)隣人たちはここがロシアの土地であることが分かるようになるだろう」と強調。千島列島中部のシムシル島(新知島)にも十字架とイコンが設置されたという。
同教区は先月9日、ロシア軍太平洋艦隊とロシア地理学会の関係者に貝殻島灯台に設置する十字架とイコンを渡したと発表していた。貝殻島灯台は7月にロシア国旗が掲揚され、8月下旬には9年ぶりの点灯や白く塗装されたのが確認された。サハリン州の地元メディアは「日本に最も近い場所でわれわれは国境を示す」とするロシア側関係者のコメントも伝えた。(本紙取材班)
貝殻島灯台、何が起きてるの?最も近い島、格好のアピールの場に<イチから!解説>
(北海道新聞デジタル2023/9/2)
北方領土・歯舞群島の一つ、貝殻島の灯台で7月以降、ロシア国旗が設置されたり、9年ぶりに点灯が確認されたりするなど「変化」が相次いでいます。ロシアが実効支配する北方領土で、北海道本土から最も近くにある小さな灯台に一体何が起きているのでしょうか。(根室支局 先川ひとみ)
白く塗られた貝殻島灯台。オレンジ色の救命胴衣を着た作業員らしき人の姿も見える=2023年8月24日(国政崇撮影)
■岩礁に近い状態
Q 貝殻島とはどんな島ですか。
A 北海道本島最東端の納沙布岬から約3・7キロの距離にある島です。晴れていれば肉眼で灯台を見ることができます。国土地理院は戦前の調査状況に基づき貝殻島を「島」に位置付けていますが、貝殻島を構成する自然の岩などは水面下にある時間も長く、岩礁に近い状態になっているとみられます。ロシアではシグナーリヌイ島と呼ばれています。
■近づけば拿捕の危険
Q 日本人は近づけないの。
A 日本政府は、北方領土は「固有の領土」でありロシア領だとは認めていませんが、納沙布岬と貝殻島をそれぞれ起点とした中間地点に「日ロ中間ライン」があり、貝殻島はロシア主張水域にあります。ロシアの実効支配下にあるため、日本人が灯台に近づくことは難しい状態です。ロシア国境警備局による拿捕(だほ)の危険性があるため、根室海上保安部は日本の船舶に対し周辺の航行を避けるよう呼びかけています。ただ、1963年の日ソ民間協定に基づいて、6~9月には日本の漁業者が貝殻島周辺でコンブ漁を行っています。
貝殻島灯台の周辺で操業するコンブ漁船=2022年6月22日(国政崇撮影)
■立ち消えになった改修計画
Q 灯台はいつ建てられたのですか。
A 1937年(昭和12年)に日本が建設しました。高さ約17メートルのコンクリート製です。旧ソ連が北方四島を占領した45年以降は、旧ソ連と、その継承国ロシアによって管理されてきましたが、老朽化もあり、点灯と消灯を繰り返してきました。2014年11月に点灯が確認されて以降、長期間の消灯が続いていました。
A 2017年9月の安倍晋三首相(当時)とロシアのプーチン大統領による日ロ首脳会談では、両国が協力して改修する案が浮上しました。安倍氏は会談後の記者発表で「四島で互恵的に協力できるようにしたい。貝殻島灯台の改修が実現すれば、素晴らしいプロジェクトになる」と述べましたが、その後の協議はほとんど進まないまま立ち消えになりました。
上部にロシア国旗(左)と十字架(中央)のようなものが設置された貝殻島灯台=2023年8月26日(高橋義英撮影)
■政権に近い組織が関与
Q灯台は最近、どのように変化しているの。
A まず7月下旬、灯台にロシア国旗が掲げられました。8月下旬に動きが活発化し、24日に外壁が白く塗られ、25日には灯台の上部に十字架が設置されました。さらに26日には約9年ぶりに灯台の点灯が確認され、白い光が4~5秒ごとに点滅するようになりました。納沙布岬からは8月下旬、オレンジ色の作業服を着た人が灯台で活動する姿が確認できました。9月5日には北方領土を事実上管轄するサハリン州の地元メディアが、ロシア正教会の聖像画(イコン)も設置されたと伝えました。
Q 誰がやっているのでしょうか。
A サハリンのメディアは、十字架とイコンの設置はロシア海軍が行ったとしています。貝殻島灯台の管理はロシア国防省が担っており、国旗の設置などの一連の動きもロシア軍が関与している可能性が高いとみられます。ロシア正教会ユジノサハリンスク・クリール教区は、8月9日に貝殻島灯台に設置する十字架とイコンを、ロシア軍太平洋艦隊とロシア地理学会に引き渡したと発表しています。
A 地理学会はショイグ国防相が会長を務めており、国防省と関係が近い組織として知られています。2014年には歯舞群島の秋勇留(あきゆり)島にも、ロシア地理学会の関係者らがロシア正教会の十字架を設置しています。普段、貝殻島をはじめ北方領土の周辺海域をパトロールしているロシア国境警備局や、日本との外交窓口となるロシア外務省とは事前の調整は行われていなかったようです。
ロシア人研究者が秋勇留島に設置したロシア正教会の十字架(ロシア正教会ユジノサハリンスク・クリール管区提供)
■対日戦勝記念日を前に狙い撃ちか
Q どんな意図があるのでしょうか。
A はっきりとした理由は分かりませんが、アメリカや欧州と連携してロシアのウクライナ侵攻に制裁を続ける日本に対し、ロシア側では反発が強まっています。日本への対抗措置の一つとして、ロシアでは今年6月、9月3日の「第2次世界大戦終結の日」を「軍国主義日本に対する勝利と第2次世界大戦終結の日」に改称する法律が成立しました。専門家は、灯台の一連の変化は、こうした日程に合わせ、北方領土がロシアの支配下にあることを誇示する狙いではないかと指摘してます。
A ロシア正教会は愛国的な教えで知られ、2013年の世論調査ではロシア国民の約7割が信者だと答えています。そのシンボルの十字架やイコンを貝殻島灯台に設置することは、守るべきロシアの領土だというメッセージが込められているのでしょう。北海道本島に最も近い貝殻島の灯台を巡っては、周辺でコンブ漁が行われるなど友好的な協力を象徴する場にもなってきましたが、日本との関係が悪化する中で、ロシアの実効支配をアピールする格好の場として狙い撃ちされている可能性があります。
点灯する貝殻島灯台=2023年8月29日午後6時20分(国政崇撮影)
■申し入れ以上の手立てなく
Q 日本側はどう対応しているの。
A 日本政府は8月2日と25日の計2回、灯台への国旗掲揚などについて「受け入れられない」と外交ルートを通じてロシア側に申し入れました。ただ、ロシア側との政治レベルの対話はウクライナ侵攻以降、途絶えており、それ以上の手立てはないのが実情です。貝殻島周辺は浅瀬が多く濃霧の日も多いことから、根室海上保安部は灯台が点灯したことは「船舶の安全には重要」としています。
Q 地域への影響は。
A 白く塗装されたことで、納沙布岬からは晴れた日は青い海の中で目立ちやすく、曇りや霧の日は見えにくくなったという指摘があります。根室の漁業者による貝殻島周辺のコンブ漁は、9月末まで続いています。貝殻島の灯台の変化は漁には直接関係がないため、道は「これまで通り決められたルールを守ることが大切。ロシア側がエスカレートして何かやって来たら状況を考えながら対応する」としています。ただ、ロシア国旗が立てられた灯台の下での漁を気味悪く思う漁業者も少なくありません。
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