北方領土で日本人が暮らした証し見て 元島民ゆかりの品、各地で展示

 北方領土問題対策協会(北対協、東京)が、北方四島の元島民らから寄贈された、かつて島で使われた日用品などの公開に力を入れている。同協会のホームページ上での公開に加え、今年から各地で展示会を開き、今後は利用者が閲覧しやすいように資料のデータベース機能の拡充なども検討している。ロシアのウクライナ侵攻で領土交渉の再開が見通せず、返還運動への関心低下が懸念される中、「北方領土で日本人が暮らした証しを、多くの国民に見てほしい」と話す。(北海道新聞デジタル2023/11/26)

戦前の歯舞群島多楽島で使われていた「どてら」

宮谷内のり子さんが寄贈した国後島乳呑路の尋常高等小学校の卒業証書。夫・亮一さんのおばのものだ

 かつて約1万7千人いた元島民は今年3月末には約3割に減少し、平均年齢は87・5歳。北対協は「このままでは島で使われていた資料の数々が散逸する」との危機感から、北方領土返還運動の関連団体などを通じて寄贈を呼びかけた。

 戦前に歯舞群島多楽島で使われた防寒着の「どてら」や国後島乳呑路(ちのみのち)の尋常高等小学校の卒業証書、漁具など生活を物語る品々が、21年度に540点、22年度に316点集まった。北対協の担当者は「島民のかけがえのない生活があったと実感できる極めて重要な資料」と話す。ロシアとの間で初めて国境を画定した1855年前後の四島周辺などの地図もある。

 寄贈品は22年春から「デジタル図録」として、北対協のホームページで公開。写真とともに、寄贈者や使われた時期などを記載している。一部はデータベース化され、地域や資料の分類ごとに検索できるが、利用者から「ホームページが見づらい」などの指摘が出ていた。

国後島で使われていた洋裁用のはさみ。島を占領したソ連軍将校の軍服作りなどにも使用されたという

 このため、全寄贈品をデータベース化し、資料と関連する元島民のインタビュー動画が見られるサイトとリンクするなどの拡充を検討。来年度の内閣府の関連予算にサイト改修費が盛り込まれる見通しだ。

北方四島などが描かれた江戸時代後期の地図。現代の地図と比べるといびつな形をしている

 寄贈品は、劣化を防ぐため専用の倉庫で保管しているが、北対協は今年、根室、東京、大阪で展示会を開いた。今後も各地で開催を検討するという。

宮谷内のり子さんが寄贈した昭和初期の国後島爺々岳の全景写真。手前に公会堂や禅寺が見える

 根室市の宮谷内(みやうち)のり子さん(75)は昨年2月に79歳で亡くなった夫の亮一さん=国後島留夜別村出身、前千島歯舞諸島居住者連盟根室支部長=の遺品を寄贈。亮一さんが祖父から譲り受け60年間自宅で保管していた土地の登記簿や国後島最高峰・爺々岳(ちゃちゃだけ)の写真など約100点で、のり子さんは「夫ら島民が生まれ、暮らした島の一端を見てほしい」と話す。(今井裕紀)

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