北方領土へのビザなし渡航が途絶えて4年がたち、元島民を始め日本人が4島の地を踏めない日が続いている。昨年2月のロシアのウクライナ侵略で日露関係は悪化し、両国に歩み寄りの兆しは見えない。領土問題のいまを考える。(読売新聞オンライン2023/11/26)
「ウラー!」国後島の中心地・ 古釜布で8月、ロシア本土から来た観光客がビール片手にサッカー観戦し、ゴールを決めるたびに盛り上がっていた。スポーツバーの店名は、ロシア語で「ドゥルージュバ」(友好)。ビールサーバーを備え、カウンター内には酒やテレビ画面が並ぶ。ホール内にもスポーツ観戦のために大型テレビが設置され、計10スクリーン以上ある。
このバーは、ビザなし交流で日本の訪問団が宿泊先としていた「友好の家」の一角に昨年末にオープンした。管理する公営企業が、食堂をバーに改装した。
電話取材に応じたロマン・シリエンコフ取締役によると、施設に宿泊する観光客が増え、ニーズに応えるためアイスホッケーやサッカーを観戦できるようにした。中国や韓国から宿泊客が訪れるという。シリエンコフ氏は「施設を維持するため、利益をあげなければならない」と強調した。
2020、21年はコロナ禍でビザなし渡航は中止され、ロシアによるウクライナ侵略後の昨年3月、ロシアは交流の停止を表明、9月には交流と自由訪問の合意そのものを破棄した。
交流が破棄される前、最後となった19年のビザなし交流に参加したというシリエンコフ氏に再開したいか問うと、「私たちは対話に前向きで、対話から逃げない。今後どうするかは、大統領次第だ」と語った。
友好の家は、日本政府が4億円以上を投じ、道内の建設会社が1999年に完成させた。鈴木宗男・衆院議員(当時)の秘書による入札妨害事件の舞台となり、「ムネオハウス」とも呼ばれたが、交流の拠点として使われ続けた。
長年ビザなし交流に通訳として携わった大島剛さん(66)によると、「友好の家」完成以前の宿泊場所は、訪問団員はロシア人島民の自宅にホームステイするしかなかった。通訳は小さな1軒のホテルで泊まり、トイレには敷居がなく、地面に穴を掘っただけだったという。「友好の家ができて、どれだけ助かったことか。まさに交流の中心の場所だった」と振り返る。
鈴木氏は「北方領土では地震などの災害があった。ロシア人島民が避難できる場所でもあり、人道支援の一環だった」と意義を語り、スポーツバーへの改装については「管理はロシア側なので問題ない」との認識を示した。
ビザなし交流などの訪問団で団長を務めた国後島出身の大塚小弥太さん(94)は「施設を維持するための改装は仕方がないのではないか。早く墓参や交流事業を再開させてほしい」と語った。
食堂がスポーツバーに改装される前、友好の家は日露交流の中心場所だった(2019年6月撮影、谷内紀夫さん提供)
日本語とロシア語で「日本国民の友情の印として」と書かれた記念プレートは残されている(シリエンコフ氏提供)
スポーツバーに改装された「友好の家」の食堂(シリエンコフ氏提供)
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