「偉大なるスターリンへ感謝の言葉」北方領土元島民、引揚前日の帰国者大集会で

択捉島の紗那国民学校の青田武貴校長が書き残した「引揚日誌」の1947年9月18日に興味深い記述がある。引揚船への乗船前日、引揚者全員が参加して開かれる大集会で、紗那を代表して演説する団長の原稿作成を依頼されている。その原稿の下書きと清書が残っている。通常、大集会には引揚船に乗る3,000人ほどが参加し、各地の代表がソ連社会主義のすばらしさや偉大なるスターリンへの感謝の意を表明する。ソ連側のプロパガンダであり、強制的に書かされたことは容易に想像できる。ソ連に否定的な発言をすれば、島に残されている島民がどのような目に遭うかわからない、という状況下で、およそ心情とは相いれない「賛辞」を連ねるしかなかったと思われる。青田校長がソ連製の学習ノートにしたためた原稿は「今回千島エトロフ島民帰国の喜びに際し、思い出多き二ヶ年の生活を反省し、拙き感想を綴り、偉大なるスターリン大元帥並びに貴国民に対し感謝の意を捧げます」との書き出しで始まる。平等な社会、勤勉なソ連人労働者、優れた社会制度などソ連が成し遂げた社会主義の成果を称える歯の浮くような世辞が続き、最後に、スターリンに対して、残留日本人島民への米飯を含む十分な配給の実施と、速やかな帰国を懇請している。理不尽な侵攻を受け、何もかもすべて奪われたあげく、ふるさとの島を追われる身の島民として、どのような思いでソ連スターリンへ感謝をつづったのか–。

真岡の収容所前広場で開かれた帰国者大集会とソ連への深甚な感謝を述べる帰国者の代表(「新生命」1947年4月8日紙面より)

青田校長がソ連製学習ノートにしたためた発表原稿

 今回千島エトロフ島民帰国の喜びに際し、思い出多き二ヶ年の生活を反省し、拙き感想を綴り、偉大なるスターリン大元帥並びに貴国民に対し感謝の意を捧げます。

 終戦の鐘の打ち鳴りし1945年8月28日、我々エトロフ島民のいやが上にも高まりし驚心を外に、秋早きエトロフにそよ吹く北風と共にソ連軍の友好的なる進駐が開始されたのでありました。以来、日ソ親善の生活が始まり、気候的にも物資的にも恵まれざりし島生活、幾多の苦難を打破して参ったのでありました。その間、特に感じました事の二、三を申し上げます。

 第一に偉大なるソビエット民族の民族性であります。これは大観的な事、小さな島内の事でありまして当低望み難くほんの一部分の人々に対するものでありますが、次の如く感じたのであります。

 ソビエット民族性の底知れぬ大きさ、これです。我日本人は長き鎖国時代の風習より未だ完全に抜けきらず、とかく他民族に対して偏見的なところあるに反し、貴国に於いては全く同民族として我々をも同等に見、いささかも他民族に対して挑激的な見方をしないと云う事であり、またいかなる少数民族、そして微力なる民族でも同化すると云う大国民性に対しては二ヶ年の生活を通じ痛切に感じたのであります。

 簡単に申し上げれば、甚だ失礼な言になりますが、非常に御人よしの民族、同情深い民族と思うのであります。

 第二は労働問題でありますが、婦人、老幼を問わず、その真剣なる仕事ぶりには頭がさがる思いが致します。

 あの尊い汗の力が偉大なるソビエット国家を建設した事に考えを及ぼした時に、我々帰国者は大なる教示を受くるものであります。

 汗! 尊きは汗の力である事を痛切に物語り、聞かせられたソビエット民族に対し感謝せずにはおられません。労働賃金の支払いに於いては少しく我々日本人に対し無統制の如く感じたる点もありますが、なす事の多き現在,殊に連絡の取りにくい千島、又言葉の通じない等によるものと思われました。

 然しながら未だに千名近い日本人がエトロフ島に於いて労働に従事致し居ります故、今後共に充分御考慮願われば幸甚の至りと存じます。

 第三は食糧問題でありますが、我々がエトロフに於いて配給されて居りました食糧は充分なものであるとは言い難いのであります。之は貴国民も同様と思われましたが、之に対し何等不平も云わず只ひたすら、よりよき国家建設のために黙々として労働に従事致して居られるにもかかわらず、客分の我々が不服を云うの事はあまりにも我儘な事でありますが、親にあまえた子供と同意味で●●●●●

 正直に残留日本人のために御願致すのであります。

 御承知の如く日本人の主食は米であります。米なくしては絶対に充分な労働力を発揮する事は不可能でありまして、又同時に体力が維持されなくなるのであります。

 毎日の配給が望み難ければ二日乃至三日に一日位の米の配給を望むものであります。

粉のみの配給では万一病気にかかりたる場合、なかなか回復しがたく、医療機関の不充分な島生活に於いては死亡率が自然に増加することは致し方のない自然現象なのであります。

 大変我々の十事●申し上げましたが、偉大なるスターリン閣下の甚大なる御同情のもとにこの愚かな望みを入れられん事を切望致すものであります。

 我々帰国後はあらゆる苦難と戦い、スターリン閣下の御教えのもとに、又神師レーニン閣下の崇高なる思想を基盤として真民主主義的新日本の建設に従事致す決心であります。尚、願わくばエトロフに残留して居りし親兄弟、病人、●婦等を御考慮せられまして次々と帰国させられん事を伏して御願い致すものであります。

 最後に偉大なる世界的大英雄スターリン閣下並びに勇敢にして正義の旗のもとに躍進せる

 ソ連将兵、本収容所長官各位の御健康と御隆昌を御祈りし、あわせて二ヶ年間の長い間御指導下されしエトロフ島ライスバズコームの各位に対し厚く厚く御礼申し上げて御別れの辞といたします。(●は判読不明)

真岡収容所鳥瞰図(北方地域総合実態調査書 下より)

 

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