かつて、「ミスター北方領土」と呼ばれた佐賀県人がいた。杵島郡福富町(現白石町)出身の末次一郎さん(1922~2001年)である◆末次さんは陸軍少尉として終戦を迎えた後、戦死した仲間に代わり、戦後処理に力を尽くした。その一つが領土問題。米国の要人に働きかけて対話を進め、1972年の米国からの沖縄返還に大きく貢献した◆北方領土問題では一貫して歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の「4島返還」を主張。ロシアにも人脈をつくり、民間レベルで領土問題の解決に努めた。だが、「20世紀中に」という願いはかなわず、領土問題が日ロ両国の間に今も横たわる◆きょうは「北方領土の日」。北方四島を日本の領土と確認した日露通好条約が1855年2月7日に締結されたことにちなむ。この歴史を踏まえ、北方四島を「わが国固有の領土」とする日本に対し、ロシアは「第2次世界大戦で獲得した」と主張する。これを不法占拠とする日本の反論とは平行線をたどったままだ◆ところで、日露戦争が始まったのは1904年2月のちょうど今頃。武力による解決は悲劇を生むだけ。人も国も一つ一つが違う存在。拒否せず、理解しようと近づく姿勢が大切だ。日本とロシアが120年続く確執を超えるためにも“第二の末次さん”が現れてほしいと思う北方領土の日である。(佐賀新聞2024/2/7)
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