昨年5月まで2期8年間にわたって北方領土の元島民らによる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)の理事長を務めてきた国後島出身の脇紀美夫さん(83)=羅臼町在住=。連載「四島よ」50回目の特別編として、北方領土返還に向けた政府間交渉の進展と後退が交錯した理事長時代を振り返ってもらった。また、24日でウクライナ侵攻開始から2年となるのを前に今後の領土返還運動への思いも聞いた。(北海道新聞根室版2024/2/22)
―理事長就任期間は、安倍晋三元首相とロシアのプーチン大統領の対話が進展した一方、ウクライナ情勢を受けて逆に後退した時期でもあります。北方領土返還交渉を進めた安倍元首相との面会も続きました。
■感じた「本気度」
「安倍元首相とは5回ほど話をしました。発言は、領土返還を含む平和条約交渉を進めるという政府の公式見解に立ったものでしたが、『元島民の思いを何とか実現したい』とも語ってくれ、問題解決への熱意を感じました。要請を重ねるうち『首相は本気だ』と思うようになりました」
―2016年、山口県長門市の日ロ首脳会談で、脇さんら元島民の方々の北方領土への思いをつづった手紙がプーチン氏に手渡されました。ただ、そこには「領土返還」という文字はありません。どう振り返りますか。
「元島民の思いを伝えてと、安倍元首相に託しました。プーチン氏は手紙を読み、記者会見でも触れました。手紙には返還という文字はないけれど、『島で朝を迎えたい。何時(いつ)でも墓参りをしたい』という内容に、返還への思いを込めています。黙っているのではなく、プーチン氏の心に残せたことが大切。批判はあっても、交渉を少しでも前に動かすことが大事でした」
「仮に領土を返せ、という原則を手紙に盛り込んだら、安倍元首相は手紙を渡せたでしょうか。受け取ってもらえなかったのではないでしょうか。個人として行動したことですが、私は当時、千島連盟の理事長。会員の皆さんに行動に至った思いや経過を説明し、理解を求めました」
―18年11月のシンガポールの日ロ首脳会談では日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速することで合意。日本政府は従来の四島返還から歯舞群島、色丹島の2島返還を軸としました。どう感じたのですか。
「国から正式に(2島返還を)言われたことはありませんでしたが、当時の情勢や報道から2島返還で決着してしまうかも知れないとは感じました。しかし、元島民はずっと故郷である北方四島の返還を掲げて運動してきたわけで、われわれから2島返還などについて言及をするわけがありません。一方、交渉の結果、国が決めるなら受け入れざるを得ないという立場でした」
―2年前のロシアのウクライナ侵攻や日本政府のロシア制裁を機に、日ロ交渉は動かなくなりました。
「私も千島連盟の皆さんとともに返還に向け頑張ったつもりですが、現状は前進どころか後退。われわれの力が及ばない国際政治の動きを受けたものですが、残念で、じくじたる思いはあります。以前は、交流や空路墓参など少しずつでも前進はあったのに、今は何もなく、全く不満です」
―ロシア側は22年5月に脇さんらを入国禁止、23年4月には千島連盟を望ましくない団体に指定しました。
「当然、運動にはマイナスの動きですが、ロシアは日本に対して何らかのシグナルを送ってきているとも捉えられます。ロシアは今も日本を気にかけざるを得ないのでしょう」
―領土問題を含めた日ロ関係について、再び明るい展望は期待できますか。
■洋上慰霊 確実に
「現状が最悪ならば、今後は良い方向を期待するしかありませんし、私たちはそれを信じて四島返還を主張し続けます。そして、厳しい状況にあっても残るのは、北方領土での墓参は人道問題だということです。民族や政治、国を超えた問題で、ロシア側も枠組みは残しており、日本側が消極的になる必要はない。時間はかかるかもしれないが、墓参を突破口に交流の再開につなげてほしいです。まずは相互理解できるところから始めるべきでしょう」
―今後の返還運動をどう展望しますか。
「諦めず、トーンダウンせず愚直に返還を訴え続ける必要があります。なぜ私たちは故郷を追われたのかという疑問が運動の原点で、2島や3島ではなく、とにかく四島を返してという主張を変える必要はありません。2世、3世も頑張って運動をしてくれています。ただ、四島に渡ることはできないので、私たちの思いをどう形にするかは課題。まずは島を見に行きたいという思いを実現することでしょう。今も船からの洋上慰霊で四島を見に行くことはできるので、それをしっかりやることです」
<略歴>わき・きみお 国後島の留夜別村礼文磯出身。7歳まで島で過ごし、樺太経由で羅臼町へ。町職員、助役を経て2003年から3期12年、羅臼町長を務めた。15~23年まで2期8年、千島連盟理事長。83歳。
<取材を終えて>外交交渉は、自らの主張を繰り返すだけではなく、相手の視点から物事を考えることが、結果的に国益に利することがあると言われます。今後の領土交渉、日ロ関係について「相互理解できる墓参から始めるべきだ」などと語る脇紀美夫さんへの取材を通し、あらためてその原則を思い出しました。
「四島よ」の50回の連載を通し、長く暗いトンネルの中にあるように感じられる北方領土問題でも、いつか厳しい時代を抜け出る日を思い描き、希望を熱く燃やし続ける人びとに出会いました。連載は続きます。取材におつきあいください。(聞き手 松本創一)
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