ソ連兵が自宅にやって来た 国後島を脱出、石川啄木に重ねる望郷の念 元島民は語る 1世がみた北方領土 第2回

 札幌市の自宅の庭に植えたハスカップを眺めていると、ふと胸中に去来する詩がある。

 《ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな》

 作者は石川啄木だ。

 北方領土国後島で生まれ育った大塚誠之助さん(88)は、豊かな自然のなかで子ども時代を過ごした。

 実家は、島の南端にある泊村ウエンナイで商店や水産加工場を経営する裕福な家庭だった。戦時中は食料や物資の配給所も運営し、石油ランプを毎日磨くことが大塚さんの仕事だった。

 初夏にはエゾカンゾウの花が咲き、秋はサケが川を上る。目前に広がる泊湾は遠浅で、北海シマエビを捕る打瀬船がよく浮かんでいた。湾に氷が張る冬は、ソリにたこをつけて氷上を滑ったり、コマイを釣ったりして遊んだ。

 だが、1944年ごろになると、島にも戦争の影が迫ってきた。

 周辺に、アメリカの潜水艦が…(朝日新聞デジタル2024/2/8)

当時9歳の大塚誠之助さん(左)と従兄弟。1944年8月に国後島泊村の自宅前で撮影された

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