国後島(くなしりとう)の東海岸を航行する船から、雪の残る頂が見えてきた。爺爺岳(ちゃちゃだけ、標高1822メートル)だ。
「私にとって心の支えのような存在。故郷に戻ってきたという実感がわきました」
2000年6月、木元護さん(86)=北海道木古内(きこない)町=は初めての自由訪問で、島のほぼ東端に位置する白糠泊(しらぬかどまり)を訪れた。ここで生まれ、終戦後も3年間住んだ。
当時は、湾に張り付くように60戸ほどの集落があった。終戦後の過酷な体験を忘れるわけではないが、島の豊かな自然の中で遊び回った記憶ばかりよみがえる。
磯でハナサキガニを取ってきては、ゆでたものをおやつに食べた。海が荒れれば馬そりを出して、大量に打ち上げられるホタテを取りに行くのが子どもらの仕事だった。
冬には湾に流氷が押し寄せ、海一面を覆い尽くした。流氷に乗って遊ぶことは落ちたら命の危険がある。今も昔も厳禁だが、「ゆらゆら揺れて怖かったが、男子の度胸試しのようなもの。流氷の上にいるアザラシを突っついたりして遊んだね」と振り返る。
12人きょうだい。「島にいたころは両親を含めて7人ぐらいだったかな」。父は島唯一の製材工場の工場長の傍ら、昆布の漁場も持っていた。
日本の敗色が濃くなると、父…(朝日新聞デジタル2024/2/11)
※国土地理院は2014年(平成26年)に衛星画像を使用して2万5千分1の地図を作成、その際、爺爺岳の標高は1822m→1772mに修正されています。
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