択捉島の中心部に位置する紗那。そこで暮らした6歳までのおぼろげな記憶のなか、天野瑠美子さん(82)には鮮明に思い出す言葉がある。
「マリンキ イジスダ」(小さい子、いらっしゃい)
父親がロシア人夫婦に貸していた隣家から流れてくる甘い香りに誘われると、ロシア人の「マダム」はそう言って招いてくれた。夫婦は戦後、ソ連が島を占領したのに伴い、紗那で暮らすようになった。
手渡されたのは、位の高い軍人が手にできる「白いパン」。焼いたバターの香りが漂う。これまで食べた「黒いパン」とは違い、焼いたバターの香りに、味わったことのないおいしさだった。
自宅にも、何度か持ち帰った。祖母に「あんまり邪魔しちゃだめよ」と言われたが、子ども心にあの香りには逆らえなかった。
初夏になると、自宅付近にハマナスの花が咲く。祖母が実でジャムを作ってくれた。秋には、自宅から見える川で産卵を終えたサケ「ほっちゃれ」が無数に浮かんだ。豊かな自然に囲まれながら暮らしていた。
そんな島での暮らしを奪ったのが戦争だった。
天野さんが生まれた1941…(朝日新聞デジタル2024/2/15)
天野瑠美子さんの両親(左端、右端)が写る。父・七郎さんきょうだいは二人が戦死しているという=天野瑠美子さん提供
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