「故郷の留別(るべつ)を忘れられないのは、ちょっとした理由があるんです」
択捉島留別村で10歳まで暮らした三上洋一さん(87)=相模原市=。そう言うと左手の親指の付け根辺りの傷を見せてくれた。
1945年8月の旧ソ連軍の占領後に始まった留別でのロシア人との混住生活。傷は「イワン」というロシア人少年とケンカした際についたものだ。
「相当傷が深くてね。毎日手で顔を洗う度に島のことを思い出すんです」。ケンカの仲直りをした後は一緒に釣りに行く仲になり、小学校では一番の親友だったという。
混住生活は47年9月の引き揚げまで2年間続いた。元々旅館だったという三上さんの広い家で最大3家族、計7人のロシア人と一緒に住んだ。
引き揚げ時、家の仏壇を一緒に住んでいたソ連兵の奥さんに渡すと、「私たちは本当はこれなの」とロシア正教会のイコン(肖像画)を見せられた。ソ連時代に弾圧されていた正教徒だと明かされるほど打ち解けていた。
引き揚げ後は、北大農学部を卒業し日本専売公社(現日本たばこ産業)に入社。本社特許室長などを務め、世界中を飛び回ったが、1日たりとも故郷・留別を思い出さなかった日はない。
91年から北方領土の「語り部」として、島での体験を話している。今年4月に自宅を訪れると、暮らしぶりや思い出など約5時間、北方領土について話をしてくれた。「島について語りたいことは山ほどあり、時間はいくらあっても足りない」(北海道新聞根室版2024/6/14)
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