根室高校の外国語指導助手として5年間、ロシア語を教えたアンナ・ブラセンコさん(34)が任期を終え、近く根室を離れる。北方領土に隣接する根室はロシア語学習熱が高く、ブラセンコさんは日ロ関係が悪化する中でもロシア語を教え続けた。「こんなに多くの人がロシア語に興味を持ってくれてありがたい。根室のことは絶対に忘れない」と話す。(北海道新聞根室版2024/7/31)
今日は私の最後の授業です―。愛称で「アーニャ先生」と呼ばれるブラセンコさんが25日、生徒に伝えると「えー」と声が上がった。「パチェムー(どうして)」とロシア語も飛んだ。
同校は3年生が選択科目でロシア語を学ぶ。日ロ交流や市内のロシア語看板に興味を持って毎年約30人が選び、本年度も26人が週2回学ぶ。
授業は対話形式で明るく、普通科の山腰開誠(かいせい)さん(18)は「アーニャ先生は常に笑顔でぼくたちを巻き込んでくれる」、同科の中川竜来斗(りくと)さん(18)も「先生は温かくて安心感がある」といい、最終授業もロシア語を使ったカードゲームで笑いがあふれた。
ブラセンコさんはロシア極東カムチャツカ地方ペトロパブロフスクカムチャツキー市出身。船員だった父が日本から持ち帰る菓子やゲーム、アニメへの関心からカムチャツカ国立総合大学外国語学部に進み、日本語と英語の教員養成課程で学んだ。在学中に北海道教育大学札幌校に1年間留学し「日本で働きたい」と思うようになった。
卒業後は地元外国語学校で6年間教え、日本行きを決断。「暑さは苦手で自然が好き」と北海道勤務を希望しロシア語教師として2019年8月に根室高に着任した。北方領土問題は知っていたが根室は知らず「小さいマチでびっくりした」。
半年後、コロナ禍に巻き込まれた。仲良くなった友人との交流も制限され「悲しかった」。日ロの往来も困難になり、車を購入し運転で気分を晴らした。ロシアのウクライナ侵攻を巡る日ロ関係悪化で郵便は今も停止。故郷には20年1月に帰省したきりだ。
楽しみは生徒との交流だった。「みんなかわいくて大好き。授業も頑張ってくれた」。市内に二つある社会人のロシア語サークルでも教え「上級者のサークルもあって良い経験になった」。
北方四島とのビザなし交流が20年から止まり、市内の日ロ交流は減った。根室高でブラセンコさんと一緒に教えた民間非常勤講師の佐藤順一さん(60)は「政治で問題があっても隣人として日ロの付き合いは必要。ロシア文化への生徒の理解はアーニャ先生を通して進んだ」と感謝する。
ブラセンコさんは後任のロシア人教員と交代し8月下旬に根室を離れる。今後は未定で日本で就職先を探している。「根室の親切な人々のことは忘れない。多くのロシア人は日本のことが好き。将来、日本人とロシア人が大切な友達になれるように願っています」と話す。
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