北方墓参は1986年(昭和61年)7月2日の日ソ間における墓参に関する口上書の交換に基づいて実施されている。
墓参に関する口上書(合意概要)1986年(昭和61年)7月2日
(1)墓参問題に関し、査証なしで、身分証明書、ソ連邦領事機関において確認を付し た名簿および所定の形式のクーポン券をもって日本の墓参団が親族の墓地を訪問することをソ連側が人道的観点から認める。
(2)具体的な訪問の場所、旅行経路、日程および交通手段は双方により毎年決定される。
(3)上記の手続きによる墓参の実施は、これに関連するいかなる問題についてのいずれか一方の側の法的立場をも害するものとみなしてはならないとの了解につき合意する。
ロシア外務省が「1986年7月2日の墓参の相互ビザ免除に関する日ソ協定の実施に影響はない」と言っているので、口上書による墓参は論理的には可能ということになる。
ただ、ロシア側が北方墓参を今後の日ロ関係の取引材料と考え、簡単には認めないという立場をとっているとしたら、論理的ではない様々な理屈を考えて査証の取得や旅券の所持などを求めてくることはあるのかもしれない。でも、口上書では「査証なし、身分証明書」で人道的観点から北方墓参を認めると明記されている。
墓参の枠組みは生きているが、1991年10月14日に締結されたソビエト連邦外務大臣と日本国外務大臣との間の書簡交換形式による相互渡航手続きに関する協定が停止され、北方領土への訪問の手段がなくなってしまったという見方があるけれど、論理的にはそうではない。外相往復書簡による渡航は北方四島交流事業(ビザなし交流)の実施についての決め事であり、北方墓参とは関係ない。
外相往復書簡は「この措置(日ソ両国民の相互訪問に関する決め事のこと)は、墓参団の訪問に関する1986年7月2日付けの双方の口上書にいう方式による墓参団の訪問につき、いかなる影響をも与えるものではない」と、これまた明確に述べている。
第1回北方墓参はちょうど60年前の1964年(昭和39年) 9月8日~11日に、水晶島・茂尻消、色丹島・稲茂尻、斜古丹の各墓地で実施された。実施主体は北海道ではなく千島連盟だった
コメント