北方領土返還に情熱 千島連盟前理事長・脇紀美夫さん死去に惜しむ声

 元島民として諦めず、北方領土返還を愚直に訴え続けた。26日に83歳で亡くなった千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)前理事長の脇紀美夫さんは幼少期に離れた故郷を思い続けてきた。知床の世界自然遺産登録では当時、根室管内羅臼町の町長として貢献し、訃報を知った関係者は死を悼むとともに、返還運動や地域への思いを継ぐ決意を新たにした。(北海道新聞2024/8/27)

 「物静かだが、ものすごく情熱的な人だった」。前任の脇さんから2023年に、千島連盟理事長を引き継いだ択捉島出身の松本侑三さん(83)=札幌市=はそう振り返る。

 脇さんは7歳だった1948年、最後の引き揚げで故郷の国後島を出た。北方領土のビザなし交流が始まった92年には羅臼町職員として先遣隊に参加し、03年から3期12年にわたって羅臼町長を、その後の15年から23年まで千島連盟理事長を務めた。

 理事長だった22年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。四島への訪問が中断する中、脇さんは「故郷に足を踏み入れるのは運動の原点だ」と墓参再開を求め、岸田文雄首相と面会するなど、政府に訴え続けた。現理事長の松本さんは「日ロ関係が厳しい時期でも、自ら率先して動いた」と当時を振り返る。

 千島連盟副理事長で、国後島元島民2世の鈴木日出男さん(72)=羅臼町=は、同じ町職員として半世紀前から行動を共にした。18年の日ロ間シンガポール合意で、日本政府が事実上の「2島返還」に方針転換した際、脇さんは「悔しいけど、今はこうしないといけない。でも、四島一括返還は曲げられない」と苦しい胸の内を明かしたという。

 最後に会ったのは亡くなる3日前だった。「(返還運動を)頑張ってね」と声をかけられ、「今度はわれわれが脇さんの思いを継ぐ」とこれまでの重責に思いをはせた。

 元千島連盟根室支部長で色丹島出身の得能宏さん(90)=根室市=は「最後の大きな星が一つ消えた」と涙を流した。「町長を辞めて千島連盟(の理事長)をやるよう何度も頼んだこともある。仲間と同じ意識を持つ思いが強かった」と悼んだ。

 根室市の石垣雅敏市長は「全国の先頭に立って返還要求運動に全身全霊を尽くしてきた。残された私たちがその遺志をしっかり受け継ぐ」とコメントを出した。

 羅臼町オホーツク管内斜里町と協力し、94年から知床の世界遺産登録を目指した。脇さんは羅臼町の助役として関係機関との調整に奔走。町長だった2005年に道内初の世界自然遺産に知床が登録された。

 当時、斜里町長だった午来昌さん(87)は「遺産登録に向けて脇さんのリーダーシップが大きな力になった。登録を喜び合ったことを昨日のように思い出す」と声を詰まらせた。

 元知事の高橋はるみ参院議員も「知床の登録では道との連携プレーでお世話になった。何事にも実直に取り組んでいた」と惜しんだ。

 

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