終戦後の1945年8月22日、樺太からの避難民の引き揚げ船三隻が留萌沖で潜水艦の攻撃を受けて沈没、大破。死者・行方不明者推定1,708人が犠牲となった「三船遭難事件」で、攻撃に参加したとみられているソ連海軍の潜水艦L-19の捜索活動がロシア国防省などが支援する調査隊により津軽海峡西部で始まった。
以下はサハリン・メディアとsakh.online(2024/6/12)の報道。
ロシア地理学会とピープル・オブ・ザ・シー財団の合同調査隊が、海軍工学会社フェルトーイング社と太平洋艦隊水路測量部の支援を受け、ソ連の潜水艦L-19の捜索を再開した。ロシア国防省によると、捜索は水中物体の探知と識別を可能にする水中音響機器を備えた大型水路測量船「アレクセイ・アナシュキン」を使用し、ラ・ペルーズ海峡(津軽海峡)西部の潜水艦が沈没したと考えられる3つのエリアで行われる。ロシア海軍太平洋艦隊水路測量部と海洋工学会社フェルトーイング社の専門家が船上で作業している。ピープル・オブ・ザ・シー財団の共同設立者であるフェルトーイング社は、数年にわたってL-19の捜索を行っている。今回の調査は昨年実施される予定だったが悪天候により今年6月に延期されていた。L-19は第二次世界大戦中に失われた最後のソ連潜水艦。1945年8月19日、日本との戦争開始から1週間半後、偵察任務を伴う戦闘作戦に出た。アナトリー・コノネンコ三等大佐の指揮の下、潜水艦には64人の乗組員が乗っていた。作戦中、この潜水艦は2隻の日本軍輸送船を沈めた。「L-19」の最後の戦闘任務は、ラ・ペルーズ海峡を渡ってアニワ湾(亜庭湾)に行き、日本軍の偵察を行うという命令だった。8月23日、潜水艦はラ・ペルーズ海峡の渡河開始について無線電信で報告した後、通信が途絶えた。潜水艦「L-19」の正確な沈没位置と原因は謎のままである。日本軍が仕掛けた機雷によって破壊された可能性があると考えられている。
◉三船遭難事件
「戦争が終わった夏、昭和20年8月22日、樺太(サハリン)から小樽に向かっていた緊急引き揚げ船小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の三船が旧ソ連軍潜水艦の攻撃を次々と受けて轟沈や大破し、推定1,708人もの乗員、引き揚げ者が留萌沖の海底に消えた」(「留萌沖三船遭難~終戦秘話~」留萌市教育委員会発行より)
◉旧ソ連海軍潜水艦L-19
ソ連やロシアはいまだに公式には認めていないが、歴史学者の秦郁彦さんの調査によって、3隻の船を攻撃したのはウラジオストクを拠点とするソ連海軍第一潜水艦隊所属の「L―12」「L-19」であることが判明している。(読売新聞オンライン2021/8/11「“終戦”後に民間人が…北と南の海で起きた二つの悲劇」)
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