「紛争の結果、平和になった国はない。武力で平和は勝ち取れない」。細川さんがさまざまな場面で訴えていたことを思い出す。
強烈な平和への願いは、1945年(昭和20年)7月14、15日の終戦間際に起きた米軍の根室空襲での経験によるものだ。米軍機から間近に受けた機銃掃射。家々が燃えさかり、熱さで近づけなかった市街地。崩れた防空壕(ごう)の中から救助を求める人を見捨てる軍人たち。2日間で市街地の8割を焼いた空襲にもかかわらず、根室市が編さんした「根室市史」にはわずか2ページしか記述されなかった。
細川さんたちは84年に根室空襲研究会を立ち上げ、93年にA5判526ページの記録集「根室空襲」を発刊。以降も被害の調査を続け、市史で199人とされていた空襲の犠牲者数が少なくとも395人に上ることを明らかにした。同研究会で長年細川さんと一緒に活動してきた近藤敬幸(たかゆき)さん(93)は「細川さんと道内外を訪ね歩き、寺の過去帳や法務局の戸籍、警察の死亡診断などを調べた。記録しないと失われる、忘れられるという思いでした」と振り返る。
長年住職を務めた清隆寺の境内には北方領土国後島由来のチシマザクラが咲き、本堂の柱にも同島で育ったエゾマツが使われている。「根室は北方四島の自然に育まれた地域なんです」。2022年の年明けに取材した際、細川さんは穏やかに話しながらも、こう加えた。「北方領土問題を含めて、戦争はまだ終わっていない。でも、国家は戦争を起こした責任は取らない。強い憤りを覚えます」
ロシアによるウクライナ侵攻、中東パレスチナ自治区ガザでの戦闘など、世界では武力による現状変更を図る動きが絶えない。今だからこそ、細川さんが繰り返した「武力で平和は実現しない」という言葉は重みを増している。(北海道新聞デジタル2024/3/11、報道センター 武藤里美)
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