ビザなし交流が始まって2年目にあたる1993年6月、米国とロシアが設置した捕虜・行方不明者(POW/MIA)に関する米露合同委員会の調査団が密かに択捉島を訪問し、第二次世界大戦で旧日本軍の捕虜となり択捉島で死亡したとされる米軍兵士の墓の調査を実施していた。日本政府は「この訪問が北方領土交渉に与える影響について懸念を表明した」が、米国側は「北方領土の法的地位に関する米国政府の立場は変わらない」として実施した。北方四島における米露合同の取り組みは、ソ連軍による北方四島を含む千島列島の侵攻・占領作戦に艦船を提供した極秘作戦「プロジェクト・フラ」以来かもしれない。
捕虜・行方不明者に関する米露合同委員会は、第二次世界大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争などで行方不明となった軍人の調査を行い、帰還させることを目的に、米国のジョージ・H・W・ブッシュ大統領とロシアのボリス・エリツィン大統領によって1992年に設置された。
択捉島とサハリン島に第二次大戦中に捕虜となった米軍兵士の墓があるという情報は、ロシア側の代表を務めたドミトリー・ヴォルコゴーノフ氏(ソ連国防省戦史研究所長や国防問題担当の大統領顧問などを歴任)からもたらされた。
米国国立公文書館に保管されている資料によると、調査団には、ロシア側からヴォルコゴーノフ氏や法医学者、軍、内務省、安全保障省関係者ら7人、米国側からは米国防総省の中央身元鑑定研究所(ハワイ)の人類学者、国防長官府POW/MIAセクション、在モスクワ大使館から3人が参加した。
調査団は1993年6月7日に択捉島に到着し10日まで滞在した後、サハリンへ移動した。ちょうどこの時期、1992年から始まった北方四島とのビザなし交流の枠組みで、日本側訪問団46人が6月6日から10日の日程で国後島、択捉島、色丹島を訪問している。
択捉島での調査は、捕虜収容所があったされるクリリスク(紗那)東部とカサトカ湾(単冠湾)にある洞窟2カ所で行われた。ロシアからの情報では、洞窟間の通路に米軍捕虜の遺体が埋葬されているとされていた。現地調査により、捕虜収容所とされる場所に人工的なくぼみが4カ所と小さな石片の存在が確認されたが、捕虜の墓と断定するに至らなかった。
調査団は、「2つの洞窟に堆積した石や砂などの堆積物を取り除いたり、捕虜収容所とされる場所に生い茂る草木を除去しない限り、米軍兵士の遺体が存在したかどうかを決定的に判断することは物理的に不可能であった」と資料の中で報告している。
また、現地調査では捕虜となった米軍兵士とその処遇に関する情報を得るために地元住民に対する聴き取り調査も行われた。いずれも長い間語り継がれてきた噂や伝聞の域を出ず、捕虜が実在したことを示す確かな情報はなかった。ある住民は、1945年8月の択捉島奪還に参加したソ連軍が保管していた日記に捕虜の記録が含まれていたと語った。
資料によると、事前に説明を受けていた日本政府は訪問自体に懸念を表明していたとある。米国は「米国とロシアが協力して歴史の醜い部分を掘り起こす機会となり得ることに、日本政府は明らかに非常に不快感を抱いている。彼らは、極東で米軍兵士が日本軍に拘束され、あるいは死亡した可能性があるというロシアの主張に反論することに執拗に取り組んできた。日本は、この問題を追及するロシアの動機は人道的ではないと強く疑っているようだ。ロシア側は、係争中の北方領土への米ロ共同遠征という目標を達成するために、繰り返し提案を行っている」と分析。
「米軍捕虜が択捉島に拘束されていたというロシア側の噂に関して、日本政府が提供した情報の真実性を米国政府が疑問視しているという推測を許すことは避けたい。日本の当局者は米国の懸念に非常に敏感である。彼らは前のめりになって元居住者の団体に問い合わせをしている。米国が日本政府の保証したことに不信感を抱いているとか、あるいは日本政府の公式の言葉よりもロシアの噂を重視しているという、いかなる示唆も避けなければならない」と、注意深く対応することの必要性を指摘している。
結局、「米国政府は米軍兵士に関するあらゆる手がかりを追跡調査する必要がある」「今回の訪問は純粋に人道的理由から例外的に行われるもの」として実施した。
米ロ合同調査団の択捉島訪問は報道機関には知らされず、メディアによる報道はサハリンの新聞に掲載された米軍兵士に関する情報提供を呼び掛ける内容の記事1本だけだった。
『択捉島のブレベスニク(天寧)のマロボドナヤ川(黒木内川)を越えると、明らかにソビエト時代に造られたものではない遺構に出会います。地元住民が「日本の刑務所」と呼んでいる巨大な灰色の建物。それは刑務所に非常に似ています。いや、これは、たとえばパールハーバー(真珠湾)を攻撃する航空機の弾薬を保管していた倉庫か、伝説的な戦いに行った人々のための軍需物資を保管する建物なのかもしれません。これはおそらく千島列島で生き残った最大の日本の建物です』ロシアのニュースメディアサイト「Fishki.net」 (「エトロフpart 2」2019年2月16日)
択捉島ブレベスニク村(天寧)近くにある旧日本軍が要塞として利用した洞窟。地下通路は保存されており、日本軍の秘密の研究施設があったと考えている人もいる。観光客に人気があるこの洞窟はカサトカ湾(単冠湾)のトンネルニー岬にある通称「悪魔の岩」と呼ばれる場所にある。 (astv.ru 2022/4/24)
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