外務省は20日、作成から30年以上経過した1992年の外交文書17冊を公開した。92年6~7月に訪米した宮沢喜一首相が米メディア幹部との懇談で、北方領土問題の解決策について、56年の日ソ共同宣言で日本に引き渡すとした歯舞、色丹の2島即時返還と、残る国後、択捉2島の5年後の返還をロシア側が確約すれば、容認する考えを示していたことが分かった。(北海道新聞デジタル2023/12/20)
日本政府は当時、91年の旧ソ連崩壊も踏まえ、「四島一括返還」を求めてきた立場を転換。渡辺美智雄外相は92年4月、北方四島の日本主権を認めるなら、国後、択捉両島の返還時期などについては柔軟に対応する新方針を表明した。宮沢氏の発言はこの方針に沿ったものとみられるが、5年という年限に言及したのが明らかになったのは初めて。
宮沢氏は92年6月30日から7月2日にかけて米国に3日間滞在。ブッシュ大統領との首脳会談を行った後の2日、米紙ワシントン・ポストの社主や編集幹部と約1時間懇談した。宮沢氏はオフレコの懇談の中で、北方領土問題について日本の立場を説明した後、「例えば、2島即時返還、5年後の残り2島返還をロシアが確約するのであれば、受け入れ可能」と述べた。
一方のロシアは同年3月に来日したコズイレフ外相が渡辺氏との会談で、歯舞、色丹2島を日本に引き渡す協定を結んだ後、国後、択捉2島の扱いを協議し、まとまれば平和条約を締結する案を極秘提案したとされる。クナーゼ外務次官が立案し、ロシア側が最も日本側に譲歩した案とされるが、今回、公開された資料にこの外相会談は含まれなかった。(荒谷健一郎)
宮沢喜一首相が米メディアとのオフレコ懇談で、北方領土に関して、5年の期間を設けた2段階返還論に言及したことを記録した議事録(玉田順一撮影)
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