秋を迎えた国後島のスーパーマーケット。ロシアによるウクライナ侵略が始まる前、棚には日本製の菓子、インスタントみそ汁や調味料、麺類が所狭しと置かれていた。だが、今はない。日本がロシアへの経済制裁を強化し、ロシアが日本を「非友好国」に指定した影響とみられる。(読売新聞オンライン2023/11/28)
秋を迎えた国後島のスーパーマーケット。ロシアによるウクライナ侵略が始まる前、棚には日本製の菓子、インスタントみそ汁や調味料、麺類が所狭しと置かれていた。だが、今はない。日本がロシアへの経済制裁を強化し、ロシアが日本を「非友好国」に指定した影響とみられる。(読売新聞オンライン2023/11/28)
コロナ禍もあり2020年以降、日本人が北方4島を訪れなくなると、日本製品は姿を消した。その一方で、ロシア国内外から択捉、国後、色丹島に行く観光客は増加の一途をたどる。ロシア極東・北極圏発展公社によると、22年のクリル諸島(北方領土を含む千島列島)の観光客数は5万3000人。20年の2・5倍だ。
ロシア政府は北方領土の開発を進めるため、進出企業に税制上の優遇措置を導入し、投資を積極的に呼びかけている。タス通信によると、10月上旬に観光分野などの企業代表団が択捉島を視察に訪れた際、公社の担当者は「トレッキングや温泉、ウィンタースポーツが魅力」と、1年を通して楽しめると強調した。
在モスクワ日本大使館に勤務経験もある元外交官の亀山陽司氏は「ウクライナ侵略で西側諸国に行きづらくなったロシア人が国内旅行先として選んでいる」とみる。
中国人観光客も増えている。侵略後も中国はロシアを非難せず、国家レベルでの友好関係が保たれているためだ。択捉島で韓国料理店を営むオレーク・シュミ―ヒンさん(57)は「中国は択捉島に団体観光を定着させており、これからも増える一方だろう」と話す。
ビザなし交流が始まったのは1992年。領土問題の進展こそなかったが、民間レベルでの信頼関係を互いに高め合ってきた。それが停止し、4年が過ぎた。
56年の日ソ共同宣言で、色丹島は平和条約締結後に日本への引き渡しが明記された。島で食料品店を営み、観光業にも携わるイーゴリ・トマソンさん(58)はこれまで交流に参加してきた。侵略が始まった後、島は道路の舗装が進み、ホテルや幼稚園、学校、公園が新たに建設された。トマソンさんは「変化は良い方向にしか起こっていない」と強調する。
愛国心が高まっている兆しもある。10歳になる男性の長男はこの夏、8000キロ近く離れたロシア南西部に接するアブハジア自治共和国にある、第2次世界大戦当時のソ連の指導者、スターリンの別荘を行事で訪ねたという。ビザなし交流は「再開したいが、私たちの力ではなく状況次第だ」と語る。
20年にわたってビザなし交流に携わり、道北や新潟県に何度も足を運んだオクサーナ・リズニッチさん(55)は、かつては雑誌編集の仕事をしていたが、今は国後島で観光ガイドを務める。
リズニッチさんは最近の島での生活について、「日本人が来なくなり、日本製や欧米製の食品がなくなった以外は、大きな変化は感じられない」という。その一方で、「中国に行くのはたやすい。だが、日本を訪ねるのは想像を絶する困難がある」と打ち明ける。
リズニッチさんは語る。「日露双方が直接会い、理解しあえる言葉で良好な交流を重ねていかないと、平和条約の締結は不可能だ」
※オンラインの記事では四島側ロシア人の氏名は匿名になっていましたが、新聞では実名となっていました。新聞記事に合わせ実名としています。
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