国後島、色丹島の住民が11月4日の「民族統一の日」を祝った

「私たちは1つ」–11 月 4 日、国後島色丹島の住民はロシアで最も重要な祝日の 1 つである「民族統一の日」を祝った。南クリル地区のイベントには一日中、あらゆる世代やあらゆる民族の住民が参加した。国後島ユジノクリリスク(古釜布)の地区文化会館で開かれたイベントでは、地元アーティストが来場者に「私の祖国はロシアです」というグリーティングカードを贈った。ステージでは色とりどりの民族衣装を着たアーティストたちがロシアの人々の文化の多様性と豊かさを実証する音楽とダンスを披露された。色丹島クラボザボツコエ(穴ま)の文化会館「祖国の朝」では「ロシアの強さは人民の団結」と題した祝賀コンサートが開かれ、マロクリリスコエ(斜古丹)の文化会館では色とりどりの民族衣装を着た地元アーティストがダンスや楽曲で聴衆を喜ばせた。(kurilnews.ru 2023/11/5)

11月4日は何の祭日か:「民族統一の日」って何?

(ロシア・ビヨンド2021/11/4)

 1649年、ロマノフ朝の第2代ツァーリ、アレクセイ・ミハイロヴィチは、1612年にモスクワとロシアがポーランドから解放されたことを記念して、10月22日をイコン「カザンの聖母」の祭日とすることを命じた。この日、イコンの庇護によりクレムリン開城が達成されたことを記念したのである。グレゴリオ暦では、これは11月4日に当たる。まさにこの日を「民族統一の日」と定めることが決められたわけだ。

 しかし、11月に「民族統一の日」を祝うもう一つの理由がある。ソ連時代に11月7日は、1918年から1991年まで、1917年の10月革命の記念日として祝われた(旧暦つまりユリウス暦では、革命は10月25日に起きた)。ロシア中の国民が11月の祝日(それは当然休日だ)に慣れている。

 そこでソ連崩壊後、この祝日を廃止する一方、新生国家のために、新しい、ロシア史にちなむ―しかしソ連時代と関係のない―祝日を考案したわけだ。

 「(新しい休日の)登場には、いくつかのもっともな理由がある。第一に、ロシアでは、160以上の言語が話され、何十もの民族が住み、しかも彼らは、あらゆる世界的な宗教を信仰している。こういう国では、統一の理念は、平和共存と国の発展に必要な唯一無二のものとなる」。ロシアの元文化大臣ミハイル・シュヴィドコイはこう書いている。

 「第二に、もはやソビエトではない、新たなロシア国家の創設で、新しいシンボルが必要になった。そこで、革命記念日である11月7日の前後に、何か歴史的大事件を見つけねばならなくなった。ソ連の伝統に負けない祭日をつくるためだ」

 「ロシアには、革命前の出来事に関連する祝日は一つもなかった。この日は、本質的に、ロシアのナショナリズムの日となった」。この祝日の発案者の一人、ウラジスラフ・スルコフ元大統領補佐官は述べている。

 

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