8月28日–。ソ連軍が北方領土・択捉島に侵攻してから78年となる。ロシアの歴史家ボリス・スラヴィンスキーの著書「千島占領1945年夏」では、択捉島には日本軍の第89歩兵師団の将兵1万3,500人いたが、上陸地点に日本軍の軍使が到着し、降伏の用意があることを伝え、武装解除はスムーズに行われたとなっている。しかし、色丹島の上陸作戦に参加したイーゴリ・スミルノフは「海軍のクリル諸島(千島列島)南部への上陸」の中で、「日本軍との交渉の過程で奇妙な事件が起きた。すべてがスムーズに進んだわけではなかった」と書いている。スミルノフは海軍中尉として北太平洋艦隊の機雷敷設艦「ギジガ」に乗船し、色丹島上陸作戦に参加した軍人で、詩人でもある。
『8月28日13時15分(ソ連時間、以下同様)、掃海艇第589と第590(※この2隻は、ソ連対日参戦に備えて米国がソ連に貸与した米海軍の艦艇。極秘作戦はプロジェクト・フラと呼ばれた)は濃霧の中、択捉島留別湾に入った。第590は14時10分までに、第589は16時30分まで上陸を完了した。日本軍との交渉の過程で奇妙な事件が起きた。ソ連軍の揚陸指揮官ブルンシティン海軍中佐は、サハリン島と満州の日本軍はすでに天皇の命令で降伏しているとして、日本軍に即時降伏を要求した。ところが、留別の守備隊長(※原文ではШтабс-капитан Танна=「タンナ」となっている。「タンノ」という姓だろうか)は「千島列島の日本軍に降伏命令は出ていない。千島軍の司令官ともどもこの問題について確認がとれるまでは、自分の一存で決められない。武器を放棄して降伏する命令を与えることはできないので、明日の朝まで待ってほしい」と求めてきた。ブルンシティン中佐は「降伏の遅れは論外だ。即時降伏しなければ、多数の戦闘機と主力部隊がやって来るだろう」ときっぱり言った。司令部との連絡に2時間を費やした後、守備隊長は同意し、15時に戻って行った。すべてがスムーズに進んだわけではなかった。』
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