学び舎が焼失…消えた「日本人の暮らしていた証」「残念だね。悔しいね。日本時代のものがなくなっていく」

1855年の2月7日に結ばれた日ロ通好条約。この条約で択捉島と得撫島の間に国境線が定められたことから2月7日は「北方領土の日」と制定されています。返還はいまも実現されず元島民の高齢化が進む中日本人が住んでいた証が先月、島から消えてしまいました。択捉島の中心部・紗那で先月、木造の建物が焼ける火災が発生。この建物はかつて島の子どもたちが通っていた、「国民学校」の校舎でした。戦前に建てられた木造建築としては四島に残る最後のものだったと言われています。(HTB北海道ニュース2023/2/7)

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択捉島出身・岩崎忠明さん(88):「残念だね。悔しいね。もういよいよ日本時代のものがなくなっていった」。

札幌に住む、岩崎忠明さんも当時、この校舎に通った一人です。かつてはビザなし交流でほぼ毎年、故郷を訪れていました。

■岩崎さん:「あそこ見えるでしょ、橋のたもとに三角屋根。あれが小学校。三角のあれが屋内体育館。」

 そのたび、島に生きた証を確認するかのようにかつての学び舎を目に焼き付けてきました。一方で、島の建物のほとんどは外壁や屋根がカラフルに塗られ当時の記憶とは程遠く。ロシアによる実効支配という現実もまた、突きつけられてきました。

■岩崎さん:「今年中に潰されるのかそれはわからない。何もなくなるよ、日本時代の痕跡。」

 その不安は予想もしえなかった「火事」によって現実となってしまいました。校舎には、卒業生だけではなくマチの人すべての思い出が詰まっていると、振り返ります。

■岩崎さん:「学校行事ってのは集落全体の行事だから村をあげてその時期になるとヤン衆、いわゆる出稼ぎの人の休養日でもあるわけよ。みんな陣取ってゴザを敷いて重箱をもって、昼飯をもって…のどかなもんだ」

この島に日本人が暮らしていた証がまた一つ失われました。7日、札幌の地下歩行空間に設けられた返還を求める署名コーナー。しかし、立ち止まる人はまばらです。

岩崎さん:「人通りも少ないし、関心が少ないんだろうな。残念ながら。」

 元島民の平均年齢は87歳を超えました。残された時間はわずかです。

■岩崎さん「やめるわけにはいかないでしょ、返ってくるまで。元島民の一人としては先祖の土地だし自分の郷里だから返ってくるまで死ぬまでやらないといけない、その一言だね。」

 

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