父の手記読み事実伝える 島の記憶語り継ぐ夫妻 上杉とみえさん(69)、謙一さん(72)=別海町<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>21 

 「九月一日の朝八時頃(ごろ)、(旧ソ連の)二隻の船が斜古丹港に入港―(中略)状況良ければ春来島しても良いので、一応本土へ脱出しよう」–。別海町尾岱沼の上杉とみえさん(69)が2005年、90歳で亡くなった色丹島チボイ出身の父高橋高治さんの遺品整理で見つけた「自分史」の一節だ。家では島の話をしなかった父が残した記録。四島について伝える語り部活動を5年前に始めたとみえさんには欠かせない史料だ。「2世の私が話すのは全て『聞いた話』。うそだけは言わないよう読み込みました」(北海道新聞根室版2022/12/9)

 父は20代で中国に出征。胸と足を撃たれて負傷し、帰郷して色丹村役場に勤めた。終戦後、上陸したソ連兵の一人から「気の荒い兵隊が後任に来る。北海道に行くなら今のうちだ」と耳打ちされた。村長は「島を守る」と大反対したが、父は根室への脱出を決めた。とみえさんは「父は後ろめたさから、家族に話せなかったのでは」と推し量る。

 最近、とみえさんの語り部活動に夫謙一さん(72)が同行し、プロジェクター操作などを補助している。自身も語り部となる準備のためだ。いま別海町内の語り部は2世を含めても片手ほど。謙一さんは「3世は仕事が忙しい世代。自分が家内の助けになるのなら―という思いです」と言う。

 新型コロナ禍で語り部の出番は激減。謙一さんは「回数をこなさないと形にならない」と、焦りも感じている。それでも、趣味のアマチュア無線で交信した世界の人たちに北方領土問題を紹介する交信証明書を送るなど、地道な活動を続けている。(小野田伝治郎)

 

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