時折笑顔を見せながら島での思い出を話す亀田さん
「島の生活は、つい昨日のことのように思い出せるよ」。国後島爺々岳の麓、留夜別(るやべつ)村礼文磯生まれの亀田正二さん(90)は懐かしむように語り始めた。(北海道新聞根室版2022/11/12)
島ではキャベツにニンジン、ゴボウも採れた。浜辺にはアザラシが頭だけ食べたタコの足が流れ着き、軒下につるして干物にした。家業はコンブ漁。米の蓄えも2、3年分あり「食べ物の心配はしたことがなかったね」。冬はスキーで学校に通った。友人と雪庇(せっぴ)を飛び越えるのが楽しかった。
1945年9月にロシア兵が上陸。両親に「先に逃げなさい」と言われ、13歳だった亀田さんは姉、妹と3人、日暮れを待ち小舟に乗った。積み荷は米3俵。火の粉と音に気づかれぬよう、焼き玉エンジンをむしろで覆い、火がつかないように見張りながら、10時間かけて根室に行き着いた。親戚の家で暮らし、1カ月後に両親と再会した。
14歳まで根室で過ごし、兄を頼って上京。ハマグリ漁などを手伝った。2年後に北海道に戻り、標津町忠類でサケ漁を始め、やがて定置漁業の経営者となった。漁場の向こうには故郷の島。「島が見えるとうれしいんだ」と笑顔を見せた。
故郷を離れて77年を経ても、島を取り戻したい思いは変わらないが、ロシアとの交渉が中断して「気持ちが冷めてしまう元島民もいるのでは」とも心配する。「ウクライナ問題も重要だが、北方領土問題も忘れないでほしい」と願う。
亀田さんは今までに4~5回ビザなし渡航を経験した。「自由に往来できないんじゃどうしようもないが、もう1回ぐらいは行きたいな。孫を連れてさ」。亀田さんは、卒寿を過ぎてなお、夢を抱き続けている。(森朱里)
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