「昭和弐十参年…擇捉(えとろふ)郡留別村大字内保村字入里節で出生」。択捉島出身の鹿川公一さん(74)=根室市=の戸籍にはこう記載されている。だが、鹿川さんはこれまで一度も出生地を自分で確認したことはない。「択捉島は生まれた場所だけど、故郷とも言いにくい。全然覚えてないんだから」と寂しそうに語る。鹿川さん一家は1948年10月、住み慣れた択捉島から旧ソ連によって強制送還された。当時、鹿川さんは生後8カ月だった。(北海道新聞根室版2022/11/9)
鹿川さんら終戦から強制送還までの間に四島で生まれた人々は、長く元島民と認められてこなかった。法律は45年(昭和20年)8月15日に6カ月以上の居住歴があることを元島民の条件としたからだ。法改正で「元島民」と位置付けられたのは2008年。鹿川さんは「自分が1世なのか、2世なのか、今も複雑だ」と話す。
「生まれた場所を一度見てみたい」という思いが強まり、15~17年の自由訪問に参加した。だが、いずれも海が荒れ上陸はかなわなかった。
18年に初めて上陸。だが自宅があるはずの地域は低草が広がり、家の跡を見つけることはできなかった。「がっかりした。繰り返し上陸できれば、『ここが故郷だ』という思いが生まれただろう。天候に左右されにくい交通手段があればもっと上陸できたのに」
その後も上陸はかなわず、2月のロシアのウクライナ侵攻によってビザなし渡航の再開は見通せなくなった。自分の「故郷」はどこか。鹿川さんは複雑な思いを抱き続けている。(武藤里美)
コメント