ロシア政府は5日、元島民らが北方領土を訪れるビザなし交流と自由訪問について日ロ間の合意を破棄すると一方的に発表し、ウクライナ侵攻で対ロ制裁を科す日本への圧力を強めた。関連する政令はロシアが対日戦勝を祝う「第2次世界大戦終結の日」とする3日付で署名され、北方領土の領有を「大戦の結果」と正当化する姿勢を鮮明に打ち出した形だ。日本側は強く抗議するが、いったん破棄された合意を元に戻すのは容易ではなく、30年続いてきた四島交流の再開は完全に見通せなくなった。(北海道新聞2022/9/7)
■再合意に高い壁
ロシアは2月のウクライナ侵攻後、欧米と協調して対ロ制裁を強める日本を「非友好国」に指定。3月下旬にビザなし渡航のうち、ビザなし交流と自由訪問の停止を打ち出していた。今回の政令は国内手続きを経て合意の解消を正式決定したもので、ロシア政界からは「制裁はブーメランのように日本側に飛んでいった」(スルツキー下院外交委員長)との声が上がる。
1992年に始まったビザなし交流は、北方四島の主権問題を棚上げして、日本側に特別な権利を認めた枠組みだが、ロシア人島民にとっても日本を訪れることができるメリットがあった。ただ、ロシア側では近年、旧ソ連崩壊前後で国内経済が混乱し、法整備が不十分だった時代にできたビザなし交流などの枠組みについて、治安当局を中心に不満の声が強まっていた。
3日は旧ソ連時代の対日戦勝記念日に当たり、北方領土を含むロシア極東では1日からロシア軍が大規模軍事演習を開始。ロシア側の決定はこうしたタイミングを狙った可能性もある。北方領土を事実上管轄するサハリン州の地元メディアは、合意の破棄に伴いビザなし交流と自由訪問の停止が「恒久的なものになることは確実だ」と伝えた。
「高齢になられた元島民の思いに何とか応えたいという考え方については変わりはない」。岸田文雄首相は6日、官邸で記者団を前に、ロシア側の一方的な決定を強く非難しつつ、ウクライナに侵攻するロシアとの事業再開に向けた協議は困難との認識を示した。
日本政府はサハリン州での石油・天然ガス開発事業「サハリン2」や、北方領土周辺海域での安全操業などの漁業分野でロシアとの協力を維持する構えだ。だが、ロシア側が今回、破棄しなかった人道目的の北方領土墓参を含め、日本政府はビザなし渡航事業について4月に「当面見送る」と発表したまま、今後の戦略は見えない。
「落ち着いた時に再開に向けて協議することには変わらない」。外務省幹部は6日、記者団にこう述べるなど、政府内にはロシア側の決定を楽観視する見方もあるが、対ロ制裁を強化する日本に対してロシアは態度を一段と硬化している。官邸筋は「人の交流という極めて重要な枠組みを停止したロシアの態度は、日本の対ロ姿勢がレッドライン(越えてはならない一線)に近づいている現れだ」と危機感をあらわにした。
ロシア側は2000年代に入り四島領有が「大戦の結果」との主張を強め、90年代に比べ、主権問題ではるかに強硬姿勢になっている。日本側外交筋はビザなし交流について「ロシア側から『今でも同じような枠組みで合意できると思ったら大きな間違いだ』と何度も言われてきた」と明かす。
日ソ、日ロ交渉に長年携わった元外務省欧亜局長の東郷和彦・静岡県立大グローバル地域センター客員教授は「交流事業はゴルバチョフ元ソ連大統領の時代から築き上げてきたもので、領土交渉とも密接に関わってきたが、それが壊れてしまった」と嘆いた。(渡辺玲男、荒谷健一郎)
■往来30年 枠組み、手段拡大 ロは「自国法適用」求める
北方領土を巡る主権問題を棚上げした特別な枠組みで行われるビザなし渡航は、旧ソ連崩壊後に枠組みが増え、参加者や移動手段なども広がってきた。ただ、近年は北方四島を実効支配するロシア側が自国法の適用を求め、トラブルになるケースが相次いでいた。
ビザなし渡航は、日本人がロシア法に基づいて北方領土を訪問する形にならないように、旅券(パスポート)や査証(ビザ)の代わりに、日本政府が発行する身分証明書や行き先などを示した書類を提示することで、渡航できる仕組みだ。
旧ソ連時代には、四島への日本人の渡航は元島民の墓参に限られていたが、1991年に来日したゴルバチョフ元ソ連大統領が、ビザを使わない形での四島往来を提案。92年にビザなし交流が始まった。日本側は元島民のほか、返還運動関係者、報道関係者、専門家など1万4356人、ロシア人島民は1万132人の延べ計2万4488人が相互に往来している。
99年は元島民や家族らが古里などを訪れる「自由訪問」が始まり、ビザなし交流で訪れることができなかった歯舞群島への訪問も可能に。延べ5231人が参加している。ビザなし渡航は根室市を発着するチャーター船で実施されてきたが、2017年に航空機を使った初の墓参も行われた。
ビザなし渡航は2国間の合意に基づいて日ロ双方の法的立場を害さない形で行われてきたが、16年にはロシア当局が日本人通訳をロシア国内法違反容疑で拘束。17年には日本語講師が手荷物の重量制限超過を理由に教材を没収されるなど、ロシア側は自国法の厳格な適用を求める姿勢を強めていた。(玉邑哲也)
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