1968年7月1日の朝、ソビエトのレーダー基地がクリル諸島(千島列島)のマトゥア島付近で領空侵犯した航空機をとらえ、MiG-17戦闘機がスクランブル発進した。未確認機はウルップ島上空で、ソビエト戦闘機によって択捉島のブレベスニク飛行場(※天寧飛行場)に強制着陸させられた。未確認機はシアトルから横田基地に向かっていたDC-8型機で、機長は航法装置の故障によるもので、領空侵犯は意図的なものではなかったと説明した。ソビエト戦闘機が現れるまで、乗組員は自分たちが他国の領空にいるとは思ってもいなかった。しかし、ベトナムで戦うために200人以上の米兵が搭乗していたという事実によって状況は悪化した。当時のソビエトと米国の関係は非常に緊迫しており、モスクワから追って通知があるまでアメリカ人を拘留するよう命令が出されたことは驚くに当たらない。乗客は窓のカーテンをすべて閉めるように命じられ、パスポートと身分証明書が集められた。
乗務員も乗客もロシア語を理解出来なかったため、地元の英語の先生が通訳を務めることになった。乗客はフライトがすぐに再開されることを確信していた。予期せぬゲストのために食べ物が飛行機に運ばれた。彼らはよく食べた。用意されたカツレツ、チョップ(アメリカ人のために農場で豚と牛を屠殺した)、キャビアとコーヒーが振舞われた。バッテリーを節約するために、機内は電気をつけず、トイレも使用しなかった。乗客は気を紛らわすために、トランプをしたり、ギターを弾いて歌を歌ったりした。アメリカ人は2日目には飛行機の外に出ることを許された。択捉島の天気は霧雨で寒かった。短パンとノースリーブのジャケットは全く不似合いだった。アメリカ人は毛布に切り込みを入れ、ポンチョのように頭からかぶった。7月3日の夜までに、問題は解決された。「1968年7月1日のクリル諸島でのDC-8航空機によるソビエト連邦の領空違反の議定書」が署名され、違反は偶発的なものとされた。その結果、アメリカ人は離陸することが許され、MiG-17戦闘機のパイロットはアメリカ人から貴重な贈り物を受け取った。指揮官は昇格した。そして、米国政府はソビエト政府に謝罪した。(ShikotanNews 2022/7/27)
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