元国後島民の土田一雄さん(100)=釧路市=に、孫の土田和世さん(38)=帯広市=が戦前の島での暮らしなどについて聞き、まとめたインタビューが、釧路市立博物館の紀要に掲載された。(北海道新聞釧路版2022/7/27)
一雄さんは国後島乳呑路(ちのみのち)で生まれ育った。16歳から乳呑路の郵便局に勤め、戦時中は海軍に招集。戦争が終わり根室から島に戻ろうとしたが、ソ連軍の同島侵攻を知り断念した。
帯広市職員の和世さんは親交のある十勝管内浦幌町立博物館学芸員の持田誠さんに勧められ、一雄さんの体験の聞き書きを決意。持田さんと一緒に1世紀に及ぶ一雄さんの生活史を聞き取ってまとめ、今春発行の釧路市立博物館の紀要に掲載された。
全10ページ。一雄さんは、乳呑路の郵便局では「1日60通ほど電報があった」「根室から郵便の船が来ていた」などと当時の郵便事情を紹介。1945年9月1日、島に戻ろうと根室から乳呑路の郵便局に電信すると、「ソ連兵が入り、明日には電信の機械が使えなくなる」と言われ、実際に連絡できなくなったと明らかにした。一雄さんが描いた図をもとにした戦前の乳呑路の地図も載せた。
和世さんは「おじいちゃんにしか語ることができない島の歴史がたくさんある。北方領土について知るきっかけになれば」と話す。(今井裕紀)
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