2月7日、日本では「北方領土の日」の記念行事が行われた。「北方領土」とは、クリル諸島(千島列島)南部の島々である。択捉島、国後島と、色丹島やユーリ島(勇留島)、アヌ―チナ島(秋勇留島)、ゼリョヌイ島(志発島)、ボロンスキー島(多楽島)など、多くの島々や岩礁を含む小クリル列島を指す。日本の地図では小クリル列島をしばしば歯舞群島と呼び、このため、「北方領土」は別の地理的用語では「北方四島」と表現される。「北方領土の日」は、1855年2月7日にロシアと日本が下田で条約を結んだ日に由来する。この条約によると、ウルップ島より南に位置する島々は日本に「移管」(※記事原文のママ)され、ウルップ島から北にあるすべての島々は帝政ロシアの一部のままとどまった。サハリン島は分割されず、1875年5月7日まで両国で所有された。サンクトペテルブルク平和条約の調印により、すべてのクリル諸島はサハリン島と引き換えに日本に渡された。サハリンは1904年-05年の日露戦争まで完全にロシアの領土だったが、日露戦争の結果、島の南半分が日本に移された。ロシアの現在の国境は、1945年8月9日–9月3日のソ連と日本の戦争による結果であり、法的に確立されている。しかし、日本側はこの事実を認めていない。1951年9月のサンフランシスコ平和条約への署名により、日本はクリル諸島と1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得したサハリンの一部と隣接する島々に対するすべての権利を放棄した。しかし、日本側は放棄した島々の帰属先は明示されておらず、ソ連(ロシア)の管轄になった訳ではないと主張している。この議論は両国間の領土問題の主要な議論の1つとなっている。「北方領土の日」は1981年に制定され、国内で集会が行われている。2011年、東京のロシア大使館前でロシア国旗が燃やされ、銃弾がロシア大使館に送りつけられたこともあった。今日、東京で行われた全国大会では、岸田首相が演説した。首相は「2018年以降の首脳間でのやり取りを引き継いで粘り強く交渉を進める」と語った。ここで特に留意したいことは、安倍前首相とプーチン大統領が2018年にシンガポールで行った会談についてである。両首脳は、平和条約締結後に色丹島と歯舞群島を引き渡すとした1956年のモスクワ宣言(※日ソ共同宣言)に基づいて領土交渉を加速することで合意した。しかし、全ての日本人が安倍前首相の「2島による決着」を歓迎しているわけではない。政府に対して「四島返還」を求める人たちもいる。(サハリン・インフォ2022/2/8)
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