【釧路】「北方領土の日」の7日、東京・国立劇場で開かれる北方領土返還要求全国大会(実行委主催)に、択捉島出身の奥泉一子さん(82)=釧路市=が元島民代表としてオンラインで参加し、決意表明する。旧ソ連に占領された島を離れて今年で75年。目の前まで近づきながら、一度も戻れていない故郷への思いを訴える。(北海道新聞全道版2022/2/6)
奥泉さんは1939年(昭和14年)に択捉島太平洋側東部トシルリで生まれた。実家はノリの漁業者で、畳1枚ほどのノリは1枚1円で函館の問屋に卸していた。「春に家の周りに咲く高山植物がきれいだった」と懐かしむ。
45年8月に択捉島に侵攻した旧ソ連軍はトシルリに進駐し、祖父が管理していた駅逓所を宿舎として使った。ソ連兵の膝の上に乗り遊んだことを覚えている。
■すぐ戻れるかと
47年9月、一家は親戚とともに総勢15人で引き揚げ、樺太経由で函館に渡った後、現在の釧路市阿寒町に移り住んだ。「一時的に離れるだけですぐ島に戻れるだろう」と、本籍地は引き揚げ後も10年ほど択捉島のままだった。
だが、北方領土は旧ソ連の継承国ロシアによる実効支配が続き、機会が限られるビザなし渡航事業でしか訪問できない。しかも択捉島太平洋側は波が高く、元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟によると、トシルリへの上陸は戦後一度も成功していない。
87年、父の博さんはトシルリの集落や海岸線を描いた地図を作った。「自分の死後も故郷を訪れる時に道しるべとして役立ててほしいとの思いからだったのでは」と奥泉さん。博さんは97年に84歳で亡くなる直前まで、「島に帰りたい」と語っていたという。
■岸を目前にして
奥泉さんは父の作った地図を手に、2006年以降、ビザなし渡航で3回にわたりトシルリへの上陸に挑戦したが、いずれも悪天候などでかなわなかった。最も近づけたのは18年夏。岸にあと5メートルのところまで近づき、子供の頃に遊んだ実家の前の川も見えたが、上陸用の船のスクリューに大量のコンブが絡まって断念。沖に引き返した。
「ほんの少し手を伸ばせば届くような近さだった。故郷への思いが一層強くなった」
奥泉さんは、故郷を忘れないように40年ほど前から、北方四島やトシルリを題材にした短歌をつくり続けている。ビザなし渡航はコロナ禍で20、21年度は中止となったが、事業が再開され、トシルリの生家跡で島の情景を短歌に詠むことを願っている。
「故郷への思いを全国に届けてほしい」と、大会実行委から決意表明を依頼された奥泉さん。「高齢化に加え、ここ数年はコロナで島に行けず焦りがある。領土問題が少しでも前に進むよう元島民の思いを代弁したい」と意気込んでいる。(今井裕紀)
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