遠い故郷 空白の2年 解決はいつ…

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 北方領土問題の解決に向けた動きが停滞している。コロナ禍の2年間、元島民たちがビザなしで故郷の島を訪問する交流事業は、すべて中止になった。

「生きているうちに故郷の土を踏みたい」

平均年齢86歳の元島民たちに残された時間は、刻一刻と少なくなっている。「空白の2年」をどのような思いで過ごしているのか、本音を聞いた。(NHK政治マガジン 2021/11/17 廣瀬奈美)

途切れた交流 2年連続中止に

 私は1年前にNHK根室支局に赴任した。北海道根室市は「返還運動原点の地」で、北方領土の元島民の多くが今も暮らしている。根室支局の記者は歴代、元島民らとともにビザなしで北方領土に同行取材するのが、重要な仕事の1つとなっている。

 しかし、私は一度も北方領土を訪れることができていない。

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 新型コロナウイルス感染拡大で、四島との交流事業が2年連続で中止になってしまったからだ。支局の窓から、目の前の国後島を眺める毎日が続く。

 1945年、ソビエト軍の占領によって故郷を追われた北方領土の元島民たちは、戦後76年たった今も、島に自由に渡ることができない。こうした中で、元島民やその子孫などが、ロシア政府からビザの発給を受けずに、ふるさとの北方四島に行くことができる特別な機会が「四島交流事業」だ。

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 「四島交流事業」には、「北方墓参」、「ビザなし交流」、「自由訪問」の3つがある。「北方墓参」は1964年から、「ビザなし交流」は1992年から、「自由訪問」は1999年から始まり、これまでにのべ3万5000人が参加した。

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 島に渡って先祖の墓参りをしたり、ふるさとの居住地跡をめぐったり、島のロシア人と交流したりする貴重な機会となっていた。しかし、この2年間は新型コロナの影響で交流はストップしてしまった。

 政府や北方領土問題対策協会などがロシア側と日程調整を行ってきたが、感染拡大が収まらず、去年に続き、ことしもすべての日程が中止となった。

2年の重み

 根室市に住む国後島出身の元島民、宮谷内亮一さん(78)。宮谷内さんたち元島民が、交流事業で重視しているのが「墓参」だ。北方四島にある先祖の墓を慰霊したいという願いがことしも叶わず、大きく落胆している。

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 「墓は北方領土に日本人が住んでいた証で、墓参は元島民の生きがいだからね。この2年間は4年にも5年にも感じるつらい時間だった」

 元島民の平均年齢は、ことし86歳を超えた。終戦時に約1万7000人いた元島民の数は年々減り、いまは5600人と3分の1になった。この2年弱で、220人余りの元島民が亡くなった。島に渡れないまま過ぎ去った2年という月日の重さを感じる。

独自の慰霊祭

 10月17日、冷たい風が吹き付ける根室市納沙布岬

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 岬にある北方領土資料館では、元島民ら72人が参列して独自の慰霊祭が行われた。

「島に渡れないなら、せめて島が見える場所でお祈りをしたい」という思いに応えて開かれたものだ。

 主催したのは「千島歯舞諸島居住者連盟根室支部」。支部長を務める宮谷内さんは、時折、声を震わせながら追悼の辞を読み上げた。

 「元島民にとっては、つらい気持ちのやり場もなく、残念無念の思いであります。故郷の墓地に眠る父祖、肉親もどんなに待ち望んでいるかと思うとやりきれなさで心が痛みます」

孫に伝えたかったふるさと

 参列者の1人、河田隆志さん(85)。

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 河田さんは納沙布岬から約45キロ離れた歯舞群島多楽島出身。

ことし6月に実施される予定だった「自由訪問」で、故郷の多楽島への訪問を希望していた。

 ことし、河田さんにとってどうしても行きたい理由があった。離れて暮らす孫の庄平さん(28)を連れて訪問することを計画していたからだ。

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 多楽島はかつてコンブ漁が盛んで、河田さん一家もコンブ漁で生計を立てていた。

祖父と両親、5人兄弟の8人家族で、河田さんは5歳になると家業を手伝い、雨の日には干場の乾きかけの昆布にむしろを掛けたり、納屋に運んだりしていた。

 1945年にソビエトが占領。恐怖を感じた島民たちは命からがら次々に脱出し、島に残ったのは河田さんたち2家族だけに。占領された島でしばらく暮らしたが、学校にも行けない状況の中、9歳のときに兄と2人、島を離れた。

 河田さんが気がかりなのは、島にある先祖の墓の状態だ。

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 多楽島は現在、人が住んでおらず、荒れ果てているのではないかと心配している。

さらに、島に上陸するには海上で小型船に乗り換えなければならず、足腰が衰えると移動自体が難しくなる。

 だからこそ、元気なうちに孫を連れて渡りたい。そして一緒に、先祖が眠る墓をお参りしたい。

 納沙布岬から見つめながら思いを強くした。

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 「体が衰え、年々歩けなくなる不安もある。このまま行けなくなってしまう前に、島の状況をきちんと孫に伝えたい。墓参は人道的な事業。来年こそは行けるよう、日本政府だけでなくロシア政府にもきちんと考えてもらいたい。元気なうちに故郷の土を踏みたい」

慰霊祭の日にロシア副首相が

 納沙布岬で慰霊祭が行われた日、海を挟んだ北方領土にはロシアの副首相2人が訪れていた。通例の日帰りではなく異例の3日間の滞在だったという。日本政府は渡航しないよう求めたが、日程通り行われた。

 今回の副首相の訪問は、プーチン大統領が9月に発表した、北方領土の一部を関税の免除区域とする制度の導入に向けた準備とみられている。この取り組みは、ロシア政府が北方領土に外国企業の投資を呼び込み、島内の開発を進めようというものだ。

 グリゴレンコ副首相は、今回の訪問の際「早ければ2023年1月から導入する可能性がある」と言及している。日本政府は、日ロ両国による「共同経済活動」の趣旨と相いれず、遺憾だとしている。

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 フスヌリン副首相のインスタグラムには、択捉島色丹島の滞在中、水産加工場などを視察したことが投稿されている。

 「日本固有の領土」であるはずの土地に元島民らは渡ることができず、我慢を強いられる日々が続く一方で、ロシアの政府高官が平然と島を訪れ、その様子がSNSで世界に発信されている。

 北方領土ではロシアの軍備拡張や開発が進んでいる。76年という月日が生んだ占領の現実が重くのしかかる。

総理、聞いてください

 10月7日、岸田総理は就任直後にプーチン大統領と電話会談を行った。

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 この中で、岸田総理は四島交流事業について早期に再開したいという意向を示したのに対し、プーチン大統領は「引き続き協議していきたい」という回答だった。

両首脳は、対面での会談を早期に行う方向で調整を進めることで一致した。

 来年は「ビザなし交流」開始から30年の節目の年を迎える。交流事業が再開され、領土交渉が進展することを宮谷内さんら元島民は切望している。岸田総理、林外務大臣の新体制で、止まった針は再び動き出すのか。

 元島民の宮谷内さんは「過去何十年も期待しては裏切られての連続だった。正直この2年で元島民は意気消沈しているが、諦められない。元島民が1人でも多く生きているうちに返還の道筋を示すことが政治の役割だ。その道筋をつけて希望を持たせてほしい」と話す。

 元島民の切実な声を受け止め、政治が応えることができるのか。残された時間は少なくなっている。

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