豊かな記憶 輝きの中に 浜辺を再訪し実感「これは多楽の石なんだ」 故郷・北方領土それぞれの思い③

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 歯舞群島多楽島出身の荢毛弘美さん(84)=根室市=にはビザなし渡航で故郷から持ち帰った宝物がある。島の浜辺で拾った乳白色や透明、薄黄色などの美しい石。大きさも硬貨ほどのものからこぶし大までさまざまだ。通称「多楽石」。「手に取ると、島のことを思い出す」と懐かしむ。(北海道新聞根室版2021/9/1)

 荢毛さんは多楽島西部の蒲原磯出身。父を幼い頃に亡くし、母や姉は海岸に流れ着いたコンブを拾う「拾いコンブ漁」で生計を立てていた。荢毛さんも夏になると学校帰りに漁を手伝ったという。時間があると近くの浜辺を散歩して過ごした。「海の中にすごくきれいな石があったから」。それが多楽石だった。

 多楽石は、多楽島の浜辺で見つかる火成岩、堆積岩などの俗称だ。石英などのきれいな石も含まれており、島ではいろりの縁に埋め込んだり、アクセサリーに加工したりした。荢毛さんは水の中で太陽の光を受けて輝く多楽石を眺めるのが好きだった。ただ、その当時は「浜辺に行けばいつでもあるもの。それ以上の興味はなかった」と振り返る。

 1945年(昭和20年)9月。旧ソ連軍が多楽島に侵攻した。荢毛さんはソ連兵の上陸時に家にいた。兵隊が撃った空砲の音を聞き「撃たれたら大変だ」と恐ろしかった。だが危害を加えられることはなく、一家は間もなく近隣住民と一緒に島から船で脱出した。

 荢毛さんたちが根室に到着したとき、島のある東の方角から朝日が昇ってきた。「あぁ、きれいだな。無事に逃げて来られたんだ」。安堵感、そして占領された島にはもう戻れないだろうというかすかな予感とともに、忘れられない光景だという。

 脱出後、初めて故郷を訪れたのは2002年。「何もないのは分かっていた。でも久しぶりに島を見てみたい」と自由訪問に参加した。海岸の浸食は進んでいたが、砂浜に多楽石が転がっているのを見つけた。「根室ではこの石を見かけることはなかった。これは多楽の石なんだ」と改めて感じた。荢毛さんは石を拾い、大切にそっと持ち帰った。

 ビザなし渡航にはこれまで10回参加した。だが、もう島には渡らないつもりだ。多楽島など歯舞群島には人が住まず、荒れたまま放置されている。「島が変わっていく様子を見るのは、むなしいだけだから」。豊かな島の記憶をとどめた多楽石のペンダントを手に、つぶやいた。(武藤里美)

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