北方四島は1945年8月28日から9月5日までに、ソ連軍によって占領された。あれから76年。道立文書館が所蔵している「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」にとじ込まれた、島からの電報と電話の記録を改めて整理してみた。
1945年(昭和20)8月29日午前11時34分
択捉島の紗那村長から、根室支庁長宛にソ連軍上陸の第一報が届く。(写真右側の電報)文末の「セ 一一・三四」は受信時間ではないかと考えられる。
「八月二十八日正午
ソビエート軍艦二隻 留別ニ上陸セリ
別条ノ事ナク 参謀長ト交渉ノ結果
本領天寧ニ軍使派遣セルモノノ如シ
目下如何ナル程度ニ運ビ居ルヤ
電信不通 詳細分明ナラズ
ソビエート軍艦ハ尚滞在中」
これより34分早い、8月29日午前11時。
紗那の監視哨(見張り小屋)から根室警察署に入った連絡が根室支庁に報告されていた。「無線電信にて」とあり、択捉島で唯一無線電信が可能だった紗那郵便局から落石無線局を経て報告されたものと考えられる。根室警察署に届いた電報の実物は見つかっていない。
「紗那監視哨ヨリ根室警察署宛
無線電信ニテ八月二十八日二三時(赤字で「正午」と訂正)
八月二九日一一時根室警察署ヨリ連絡アリタリ
其ノ后ノ模様(原文・状況)ニ付テハ
同署ヨリ監視哨宛 連絡中ナリ」
1945年(昭和20)8月30日午前9時33分
ソ連軍が最初に上陸した択捉島・留別村長から根室支庁に連絡が入ったのは2日後だった。電報には「留別村長 第一美登丸 二十八日后九時出帆 二十九日后二時天寧上陸」とメモ書きあり、村長はソ連軍が上陸した日の夜9時に船で留別を脱出し、太平洋側の天寧に移動したことが分かる。電信が遮断された留別にいては、根室と連絡が取れないと判断したのではないかと考えられる。(写真左側の電報)
「留別交通通信遮断サル
〈留別村長〉宛緊急用件ハ
〈天寧局気付〉ニテ発信アリタシ」
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