76年前のソ連軍侵攻を伝える至急電 根室-国後-択捉をつないだ陸揚庫と電信線がもたらした

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ソ連軍が北方四島択捉島に侵攻した1945年8月28日から、間もなく76年。道立文書館が所蔵している「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」には択捉島国後島色丹島の6村の村長などから根室支庁に届いた電報の実物21通と電話による通話記録3件が収められている。ソ連軍の上陸から占領に至る緊迫した島内状況を伝える電報や電話の多くは、根室のハッタラ浜にある陸揚庫を起点として国後島択捉島最北の蘂取までつないでいた海底電信線、陸上電信線を経由してもたらされたものである。

 

島別の電信による通信記録の内訳は以下の通り。

択捉島

紗那、留別、蘂取の3村長と根室支庁択捉出張所長から9件(うち電報の実物8通、1件は電報の内容を記した文書)

国後島

泊と留夜別の2村長と根室支庁国後出張所長、留夜別漁業会長から15件(うち電報の実物12通、電話による通話を記録した受理書3件)

色丹島

色丹村長からの1件(電報の実物1通)

 

【電報1】択捉島紗那村

昭和20年8月17日 

本村ハ外国ノ領収スルモノトノ見解ナルモ 

村民ノ措置其ノ他必要ト認ムル事項 

急速ニ電信ニテ御指令乞フ

 

【電報2】択捉島紗那村

昭和20年8月29日午前1時30分 

八月二十八日正午 ソビエート軍艦二隻 

留別ニ上陸セリ 別条ノ事ナク参謀長ト交渉ノ結果

本領天寧ニ軍使派遣セルモノノ如シ 

目下如何ナル程度ニ運ビ居ルヤ 電信不通詳細分明ナラズ

ソビエート軍艦ハ尚滞在中

 

【電報3】択捉島留別村

昭和20年8月30日 

留別交通通信遮断サル〈留別村長〉宛緊急用件ハ

〈天寧局気付〉ニテ発信アリタシ

 

【電報4】択捉島留別村

 ※電報の実物はなく記録文書のみ

昭和20年8月30日午後2時 

居住者生命財産保障サレ 

絶対安全ニ付キ

支庁其ノ他関係筋ニ連絡頼ム 

通信皆天寧局気付ニ出セ 

現地ニテ最後ノ活躍ス

 

【電報5】択捉島紗那村

昭和20年8月30日午後4時 

現在迄協定ノ事項 今後ハ地方住民ハ

許可ナラザルニ於テハ禁止セリ

凡ユル船舶ノ来島禁止セリ

地方住民ハ六時ヨリ十九時迄外出自由

地方住民ノ生命財産 特ニ船競争入札ノ身分保証ス

依テ越年物資対策ヲ乞フ 

 

【電報6】択捉島留別村

昭和20年8月31日午後3時 

言語通ゼズ至急通訳派遣セラレタシ

 

【電報7】色丹島色丹村

20年8月31日午後8時 

十七時帰庁セリ 聯合軍ソ聯軍使

人員不明ナルモ 一両日中ニハ訪フノ旨

部隊ヘ申入アリ 会見場所ハ役場ナルモ 

吏員ハ一時退場セシメラルベシ 

択捉ニオケル決定事項 

一般地方民ノ生命財産ハ保証セラル 

婦女子ノ名誉ハ重ズル 

一般地方民ハ十九時ヨリ六時迄ハ家ニ在ルベキコト 

八時ヨリ十九時迄ハ行動ノ自由ヲ許す 

地方警備ハ憲兵ガ行フ 

進駐ノ目的ハ武装解除ノ為ノ由ナリ

 

【電報8】国後島・泊村長

昭和20年9月1日  

今朝五時 連合軍ノ一部約三百名ハ 

古釜布ニ上陸シ 其ノ一部約二五名ハ

目下泊ニ向ケ陸行シツツアリ

 

【電報9】国後出張所長

昭和20年9月2日 

昨日ソ連軍艦五隻古釜布ニ入港セリ

三〇〇上陸 植内岬ニモ分散ス 

泊ニ来ルモノ船舶故障アリ 古釜布ニ引返シ

本日軍艦ニヨリ来ルモ 

今後通信連絡ハ不能ノ場合アルモ 

現地部隊ト連絡遺憾ナキヲ期スベク

尚人心ハ安定シアルニ付御安心乞フ 

 

【電報10】国後出張所長

昭和20年9月3日 

九月一日五時 泊村古釜布ニ上陸セル部隊ハ

武装解除、兵器被服食糧徴発ノ後 

九月三日朝 現地隊長以下ヲ乗船セシメ

泊村字東沸ニ向ケ出帆セリ

 

【電報11】国後島留夜別村

昭和20年9月3日 

調印ノ結果ニヨリ島民不安

措置決定の上 何分御指揮相成度

 

【電話 ①】国後出張所長

20年9月4日午前10時 

二日十三時ソ連軍船一隻入港シ五十名上陸

泊駐屯軍ノ武装解除ノ上一泊 

翌三日古釜布ヘ向ケ出発セリ 

住民ニ対シテハ何等危害ヲ加ヘズ 

住民ノ動揺ナシ 

尚目下漁船一隻泊ヘ向ケ航行中ノ旨

「ケラムイ」岬灯台ヨリ連絡アリ 

同船ハ如何ナル用務ヲ以テ 

何レヨリ来レルカハ不明ナリ 

判明次第通報ス 

留夜別村方面トノ電信連絡可能ニ付

同村役場ニ対シ情勢報告ノ電信ヲ発信シタルヲ以テ

回答アリ次第連絡ス 

 

【電報12】択捉島紗那村

昭和20年9月5日 

目下ノ処本島ハ総ユル船舶ノ運輸交通ヲ禁止セラレタリ

本島村住民ハ許可ヲ受ケザレバ渡航不能ナリ

内地ヨリノ入島モ同様ノ取扱ナリ

斯クテハ越年物資ノ輸送不可能ナルヲ以テ

可然御尽力アリタシ 紗那郡紗那村武装解除完了セリ

目下ノ処ソヴェート官憲駐在セズ 其ノ他異状ナシ

物資ハ町村住民ノ外現地召集解除者四七〇名

漁業雇夫五五〇名 越年ノ見込ニ付配慮アリタシ 

 

【電報13】択捉島蘂取村長 

昭和20年9月5日 

航行禁止ニ依リ 退島者並来島者共ニ停止ノ状態ニ在リ

尚越年用諸物資ノ移入ニ関シテハ 

洵ニ憂慮ニ堪ヘザルヲ以テ 

特ニ本島ニ限リ一日モ早ク解除シ 

航海可能ナル様関係ノ向キヘ

陳情方特段ノ御取運相煩度

 

【電報14】国後島留夜別村

昭和20年9月5日 

目下上陸シ居ルモ多少ノ被害アリ 

民心安定シ居レリ 

 

【電報15】国後出張所長

昭和20年9月5日 

昨日ヨリ ソ連軍将校一五名

土地及物資調査スベク来村

今朝フルカマップニ軍艦七入港四千人上陸

泊ニハ百名上陸ノ予定 

各地ニソ連駐屯セリ 

上陸地ニ於テハ被害アリ 

人心多少動揺シアルモ 指導ニ万全ヲ期シアリ 

 

【電報16】国後出張所長

昭和20年9月6日 

国後ハソ連領土トナル旨 

ソ連将校言明シアル為動揺スル者アルモ 

正式ノ指示ナキ為 最悪ノ場合ニ至ル迄

従前ノ方針ニテ指導セントス 如何ナリヤ 

根室教会ト連絡ノ上 通訳ノ駐在方斡旋乞フ

 

【電報17】国後島・泊村長

昭和20年9月6日 

九月四日午前九時 将校十二名上陸

泊村役場ニ至リ 本職ト産業指導

教育行政上ニ付 打合セ為シタルモ 内容ニ付

ソ連軍ノ指揮ニ従ヒ一切ワ為スモノノ如ク

思料セラルルモ疑義有之ニ付 

詳細何分ノ御指揮相成ルト共ニ

今後ニ於ケル本職係員ノ身分 

進退竝ニ村民一同ニ付 具体的ニ指示アレ

 

【電報18】留夜別漁業会長

昭和20年9月6日 

当地ニ一日ソ連軍舟艇ニテ約七十名上陸 

人家ヲ荒シ金品ヲ強奪 夕方引揚タルモ 

以後古釜布ニ駐屯シ 金品馬匹 

畠ノ芋ヲ掠奪シ 配給米ヲ押ヘ 

通信交通ヲ遮断シ居ル為 

昆布馬糧ノ生産盛期ナルニ採取スル者ナク 

疎開準備スル者続出シ 民心極度ニ動揺ス

ソ連軍ノカカル行為ヲ停止交渉アル様 御高配乞フ

 

【電話②】国後出張所長

昭和20年9月7日午後4時 

島内ニ施設ノ各電信電話ノ設備ハ

ソ連軍ノ為ニ押収セラレ 

目下国後局ノミ通信可能ノ状態ナリ

然シテ国後局(泊市街)モ本日夕刻迄ニ

押収セラルルコトトナル模様ナリ 

日本軍ハ全部武装ヲ解除セシメ監禁セリ 

明後日ソ連軍三百名泊市街ニ駐屯ノ為

進駐スル旨東沸ヨリ通信アリ 

ソ連軍ハ国後島ヲ完全領土トシテ取扱フ旨申立テ居レリ

掠奪ヲ行ヒ且ツ婦人ニ対シ暴行ヲ加フル憂ヒアリ 

自ラハ最後迄踏止マル覚悟ナルモ 

住民ニ対スル措置ニ付テハ 

電話可能中タル本日夕刻迄ニ電話ヲ以テ指示アリタシ 

 

【電話③】根室支庁長⇒国後出張所長              

昭和20年9月7日午後4時55分

支庁長ヨリ国後出張所長ニ電話ス 

健闘ヲ祈リ 最善ノ措置ヲトルコト 

婦女子ニシテ引揚可能ノ場合 

陸続各町村ニ手配済ニ付 

町村長初メ関係者ト充分連絡ノ上 

善処セラレタキコト

 

【電報19】留夜別村

昭和20年9月8日夜 

現在モ国後島ハ北海道ノ一部ナリヤ 

折返シ返電アレ 

 

【電報20】留夜別村

昭和20年9月8日 

上陸後 刻々不安ノ状態ニ入ル 

島民ノ引揚ゲ其ノ他ニ関シ 

御方針折返シ返電アレ

 

【電報21】留夜別村

20年9月9日 

航海可能トナリタルトキハ 

スグ通知乞フ

 

【電報22】択捉出張所長

昭和20年9月11日 

択捉郡留別村武装解除中ニシテ 

留別部落ハ交通杜絶ノ現状ナリ 

紗那郡紗那村九月四日武装解除完了セリ

ソ軍駐在セズ 

蘂取郡蘂取村武装解除未済ナリ 

目下ノ処本島ハ凡ユル船舶ノ運輸交通ヲ禁止セラレタリ

本島町村住民ハ許可ヲ受ケザレバ渡航不能ナリ

内地ヨリノ入島モ亦同様ノ取扱

(尚軍保有米等モソ軍管理ノ状態)ニシテ

越年物資ノ輸送不能ナルヲ以テ 

然ルベク御尽力アリタシ 

物資ハ現地召集解除者

(留別一五〇〇 紗那四六〇 蘂取八〇及入稼者 

留別一五〇 紗那三八九 蘂取二〇〇)

越年ノ見込ニ付御配意相煩度 

町村住民ハ平穏ニシテ異状ナシ 

指示事項紗那村長気付ニテ御通達アリタシ  

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