(文化庁の報道発表資料)
国の登録有形文化財となる根室と国後島をつないでいた海底電信線の根室側「陸揚庫」は、「とりあえず」昭和10年頃の建築物として登録される。「とりあえず」というのは、陸揚庫がいつ建てられたのかを示す文献資料は見つかっておらず、正確な建築年は分からないままだが、登録有形文化財は「50年を経過した建造物」であることが要件とされ、そのことを明確にするため、いくつかの状況証拠から昭和10年頃とした。
根室—国後島間に海底電信線が敷設されたのは1900年(明治33年)だが、陸揚庫も同時に建設されたとすると、鉄筋コンクリート造としては日本最古級の歴史的建造物となる可能性も指摘されていた。
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その1 アスファルト防水
陸揚庫の入口の上部にかかる庇の根本付近の壁から、露出するアスファルトが確認されたこと。アスファルト防水処理が施されていたことを示すもので、1905年(明治38年)の大阪ガス本社ビルの屋根に施されたのが最初といわれる。アスファルト防水は、明治末期から鉄筋コンクリート造の普及とともに広まっていったとされる。
〇で囲った黒く見える部分がアスファルト防水
その2 鉄筋の種類が丸鋼
陸揚庫の屋根の軒部分から丸鋼(まるこう)と呼ばれる鉄筋が露出していることが確認できること。日本では1901年(明治34年)に官営八幡製鉄所で初めて生産され、それ以前の需要は極めて少なく、海外からの輸入に依存していた。丸鋼は、明治末期から昭和40年代まで鉄筋コンクリート造の主要鉄筋として使用されていた。
コンクリートが剥落し、丸鋼鉄筋がむき出しになっている
その3 絵図に描かれた切妻屋根の陸揚庫
1934年(昭和9年)に根室公論社が発行した『根室千島鳥瞰図』(絵葉書)に、「海底電線」として切妻屋根のように見える建物が描かれていること。根室側の「海底電線」の建物から国後島のケラムイ崎までは点線で結ばれており、絵が正しければ、切妻屋根の建物が昭和9年以前の陸揚庫だったと考えられる。
以上のことと併せて、1935年(昭和10年)に海底電信線を利用した電話線が開通していることから、電話線開通に合わせて建設されたものではないかと推論された。
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