釧路新聞コラム諸感雑感(2021/8/17)
終戦直後まで、根室と国後島をつないでいた海底電信線の根室側中継施設である陸揚庫(りくあげこ)が、北方領土関連施設としては初めて国の登録有形文化財に登録される。文献資料が何一つ見つかっておらず、建築年さえ特定できてい。謎に包まれた歴史的建造物である。
根室ー国後島に海底電信線が敷設されたのは1900年(明治33)。根室側の陸上電信線は陸揚庫があるハッタラ浜から根室海峡をくぐり、対岸のケラムイ崎で陸上線に接続。2千本以上の電信柱を伝い白糠泊(しらぬかどまり)へ。島の太平洋側には今も日本が建てた電信柱が建っている。白糠泊からは国後水道を潜り、択捉島の丹根萌(たんねもい)から蘂取(しべとろ)まで延びていた。35年には海底電信線を利用して電話も開通した。
道立文書館には、ソ連軍が択捉島、国後島に上陸した直後、緊迫した島の状況を伝える各村役場からの電報や電話記録が保管されている。多くはこの電信線と陸揚庫を経由してもたらされたものだ。
国後島にソ連軍が上陸した1週間後の45年9月8日。留夜別(るやべつ)村長は根室支庁長宛の電報で「現在も国後島は北海道の一部なのか。島民の引揚方針を返電あれ」と要請した。翌9日「航海可能となった時はすぐに通知を乞う」との同村長からの電報が、国後島からの最後の電信連絡となった。
その後、海底電信線はソ連による赤化工作を恐れ、陸揚庫の立ち上がりから切断されたという。存在理由を失った陸揚庫は、人知れず時の流れに埋もれていった。
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