第二次大戦末期に日本軍との戦いで倒れたソ連軍兵士の遺骨収集を行っている「ロシアの捜索運動」の活動家がサハリンのスミルヌイフ地区で大規模なキャンプを設営し、2週間にわたる捜索活動を開始した。サハリン支部長のアルテム・バンデューラは「サハリン州政府の支援のおかげで、野原で快適に暮らすためのテントが用意された。ストーブ、ベッド、キッチン、24時間体制でキャンプに電力を供給する発電機、さらにはテント風呂もある」と語った。(サハリン・クリル通信2021/5/28)
ドミトリー・スタロドヴォルスキーは、料理担当として参加している。州都のレストランで22年間シェフとして働いてきたプロのシェフ。「ロシアの捜索運動」のメンバーではないが、常に参加している。「毎日のメニューはレストランと同じで、サラダも毎日出している。そしてパンケーキはみんなのお気に入りだ」という。
集まったメンバーはベテラン揃い。プスコフ、レニングラード、ノヴゴロド地域で赤軍の遺骨を引き上げてきた。アンドレイ・ポポフは西部戦線のノヴゴロド地域でナチスによって射殺された数百人の民間人の遺体を掘り出した経験を持つ。「遺体は無秩序に穴に運ばれ、ワイヤーで縛られていた。民間人で、子供が多かった。すぐに法執行機関に報告し、捜査が開始された」とポポフは語った。
アリサ・ザジロワは昨年、極東戦線の遠征に参加した。「ここに到着して森で捜索を始めた時、金属探知機が鳴りやまなかったのには驚いた」という。
アンナ・シュニャエヴァは、幼い頃から兵士の遺骨を探していた。ほとんどの場合、プスコフ地域の自宅で。彼女は、3 人の同胞を見つけた時のことをよく覚えている。ナチスは彼らを捕虜にし、射殺した。 1941年の激しい戦闘の後、この地域はドイツ軍に占領された。「私は泣いたのを覚えている。3人のうちの 1 人はとても若く、私と同じくらいだった」と語る。
今回の捜索エリアは、スミルヌイフ地区の森林地帯。カラミトグスキー(コトンスキー=旧古屯) の日本軍の要塞は数十キロにわたり、赤軍は100 メートルごとに土地を奪い取らなければならなかった。きっと、赤軍の兵士の遺骨が発見されるだろう。
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