羅漢さんの観音像、見つかる — 択捉島

 「イトゥルプ(択捉島)で観音像見つかる」というサハリンからのニュースに目がくぎづけになった。今年7月のことだ。石造りの観音像は瀬石温泉近くの道路脇に埋もれていた。正面を写した写真からは、いつ誰が建てたのか分からなかった。

 数日後、島に住むロシアの友人から観音像の裏面写真が届いた。「昭和八年七月十八日 願主 暁道」とあり、留別にあった法蔵寺の髙橋暁道住職と分かった。戦後は根室管内別海町のお寺で住職を務め、偉いお坊さんの「羅漢さん」と敬愛された。

 羅漢さんが島に渡ったのは1907年(明治40年)。布教に励み2年後に法蔵寺を開く。留別では大正から昭和にかけて流感による死者が続出。自身も2人の幼子を亡くした。犠牲者の冥福を祈るため、建立したのが三十三観音像だった。函館の石屋に造らせ船で運び、ドサンコの背に振り分け島内33か所に安置した。

 45年8月、ソ連軍が留別に上陸。「魂をこめて建てた三十三体の観音像がソ連兵の射撃の的にされ、一つ残らず無残な姿に変わった」–77年に、ある新聞の取材を受け、むごたらしい出来事を語っていた羅漢さん。翌年96歳で世を去った。難を逃れ、今回発見された羅漢さんの観音像は、島の博物館に引き取られた。

 島から日本の面影が消えていく。ここ数年で紗那の水産会と郵便局が解体され、国民学校も校舎の半分が老朽化により取り壊された。運よく保存されるもの。永遠に失われてしまうもの。日本の領土と言いながら、ただ見守ることしかできない。(北海道新聞2020/11/10「朝の食卓」より)

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