戦後75年 領土の記憶(5)
極寒の樺太 過酷な抑留生活を耐え
産経新聞2020.9.1
北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)を不法占拠したソ連は昭和22(1947)年夏から23年秋にかけ、それぞれ島に残った島民たちを強制的に退去させた。ただ、島民が着いたのは北海道の根室でも釧路でもなく極寒の樺太(からふと)・真岡(まおか)=注釈〔1〕=だった。
色丹島色丹村に住んでいた得能(とくのう)宏さん(86)は母と姉、姉の長女、そして弟と妹の6人で真岡にたどりついた。一家を待っていたのは、乗せられた船以上の「地獄」の抑留生活だった。
真岡には島民たちの収容所が2カ所あった。真岡第2小学校を改築した第1収容所と、真岡高等女学校を改修した第2収容所。いずれも周囲は金網で囲まれていた。
得能さん一家は第1収容所の教室に1畳半のスペースが与えられた。だが、6人家族では狭く、全員が横になれず座ったまま寝たという。食事は朝と晩に黒パン2枚と、おかずのニシンの塩漬けだけだった。
しばらくすると、シラミが大量発生した。「体がほてるほどかゆくて、寒いのに裸になってシラミ退治をした。自分の歯で食いつぶしたから、歯や両手の親指が真っ赤になった」
傷つけられた尊厳
一番恥辱を味わったのはトイレだった。グラウンドに深い穴を掘り、10メートルほどの板を渡しただけ。底が見えないほど深く、板から滑り落ちて死んだ子供もいた。
周りは板で囲まれていたが、すぐに板ははがされていった。収容所は暖房設備がなく毛布も支給されなかったため、暖を取ったり、米を炊いたりするために、はがして燃やしたのだ。
得能宏さん
「あっという間に丸裸になってしまった。女性は暗くなるまでトイレに行けず、体調をくずした人も多かった。国民学校の先生が生前、『あれほど女性の尊厳を傷つけられたことはなかった』と話していたのを思い出します」
体調を崩しても医者がいないし、薬もない。恐怖と飢えと寒さで、体力が衰弱し、多くの人が死んでいった。「死なないうちに船に乗りたい」が合言葉になっていたという。
得能さん一家は真岡に着いてから約70日後の昭和22(1947)年12月上旬、函館に向かった。だが、函館港の桟橋に着いたとき、姉がおぶっていた2歳の長女が死んでいた。
「樺太での生活は人生の中で一番残酷で、生涯忘れることができない」。得能さんは目を潤ませた。
「侵害された国家の主権を取り戻す」
そうした島民の半数以上は故郷の島が見える根室周辺に住み、漁業などに従事した。ソ連軍に財産を没収され、着の身着のままで強制的に退去させられたため「ゼロからの出発」を余儀なくされた。
児玉泰子さん
昭和22年秋に引き揚げた歯舞群島の志発(しぼつ)島に住んでいた児玉泰子さん(75)は両親から当時の話を細かく聞いている。
たどり着いた根室は昭和20(1945)年7月の空襲で7割近くが焼け野原になっていた。母の実家に母と姉妹3人で住み、父は根室の郊外に家を建て、兄と祖父母と暮らした。新天地での生活が軌道に乗るかと思われた矢先、父が2年後に事故死した。それからは水産工場で早朝4~5時まで働いた母に育てられた。
現在、元島民は北方四島在住のロシア人との「ビザなし交流」のほか、「北方領土墓参」「自由訪問」=注釈〔2〕=で故郷を訪ねながら返還要求を続けている。児玉さんも平成元年から毎年、4島を訪れているが、さまざまな変化に気付く。
「ロシアの大手企業が進出し、韓国の建設技術が取り入れられ、労働者も電化製品も乗用車も韓国から入ってきている。中国の調査団もかなり入っている。ロシアのしたたかさが見える。日本はうかうかしていられない」
北方領土問題対策協会のホームページで、元島民は「決して不当な領土返還要求運動をしているのではない。不法に侵害された国家の主権を取り戻すための、正しい運動を続けるだけである」と訴えている。
ただ、元島民の思いとは裏腹に、4島は遠のきつつあるように感じる。
■今回の証言者
得能宏さん 昭和9年2月、色丹島色丹村生まれ。北方領土アニメーション映画「ジョバンニの島」の主人公・純平のモデル。現在、北海道根室市で水産業を営む。北方地域漁業権補償推進委員会理事、千島歯舞諸島居住者連盟援護問題等専門委員を務める。
児玉泰子さん 昭和19年10月、歯舞群島志発島生まれ。22年に北海道根室市に引き揚げ、市の領土対策係の職員として「北方領土返還運動ガイド」などを経験。現在、北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長や千島歯舞諸島居住者連盟理事を務める。東京都板橋区在住。
注釈〔1〕 日露戦争後に日本領に復帰した南樺太は昭和20(1945)年8月、日ソ中立条約を破棄して対日参戦したソ連軍に占拠された。26(1951)年9月のサンフランシスコ講和条約で日本は南樺太を放棄。現在は講和条約の締約国でないロシアがサハリン州として実効支配している。
注釈〔2〕 日本人がロシア発給の査証(ビザ)で北方四島に入域すればロシアの管轄権を認めることになるため、日本政府は北方領土訪問の自粛を求めている。元島民らは、日露政府が設定した(1)北方四島交流(ビザなし交流)(2)北方領土墓参(3)自由訪問-の枠組みで北方四島を訪問するなどしている。
樺太から北海道・函館港に到着した元島民(千島歯舞諸島居住者連盟提供)
コメント