8月28日13:15(日本時間11:15)
掃海艇2隻T-589、T590が択捉島の留別湾に入港(海岸1.5kmに停泊)した。掃海艇偵察部隊が搭載ボートで上陸し、20分後日本軍の自走艀を確保して運び込んだ。掃海艇T-589(113狙撃旅団第3大隊第1中隊176名、指揮オフチンニコフ大尉)が留別浜に上陸を開始した。掃海艇T-590は上陸部隊を援護した。
8月28日14:00(日本時間12:00)
揚陸指揮官ブルンシティン海軍中佐は掃海艇T-589から1個中隊を上陸させた。日本軍の軍使が到着、降伏の用意あること通告した。ソ連軍は駐屯する第89歩兵師団(小川権之丞中将、将兵13,500人)の規模を把握しておらず、あまりにも兵員が多かったことから急遽、掃海艇T-590の1個中隊も上陸させた。これにより、国後島への上陸作戦が遅れることになった。(ボリス・スラヴィンスキー著「千島占領1945年夏」より)
8月28日正午 ソビエート軍艦2隻 留別に上陸せり
別条の事なく 参謀長と交渉の結果 本領天寧に軍使派遣
せるものの如し 目下 如何なる程度に 運び居るや
電信不通 詳細分明ならず ソビエート軍艦は 尚滞在中
掃海艇T-589
1942.11.20 アメリカ(オハイオ州クリーブランド)で建造
米海軍YMS-237 STADIUM
1945.7.19 米ソ極秘協力「プロジェクト・フラ」でソ連海軍に移管
排水量270トン、全長136フィート(46m)、
全幅24.6フィート(7.47m)
喫水8フィート(2.4m)、速度15ノット(27.78km/h)、
必要乗員32名
20mm砲2門、3インチ/ 50キャリバーの砲台1個
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