1945年8月26日、クリル諸島の占領作戦が続いていた。ボロノフ大佐指揮下の偵察部隊がシムシール島(新知島)に上陸。この大きな島は無人だったが、ソ連軍は日本軍の残党を発見し、要塞や兵舎、倉庫に火をつけ破壊した。同じ日、グネチコ少将指揮下の上陸部隊はパラムシル島(幌筵島)の南部、ヴァシリエフ岬に接近し、部隊を上陸させた。そこには飛行場整備や沿岸防衛のため日本軍が駐留していた。日本兵約800人を捕虜とし、武装解除を行った。(サハリン・クリル通信2020/8/26)
8月26日11時20分 カタリナ型飛行艇2機が択捉島の飛行場を抑えるため発進。択捉島上空は濃霧のため飛行場を確認できず、1機はエンジントラブルでウルップ(得撫島)沖に不時着。他の1機は燃料切れでサハリンに帰還した。
8月26日12時50分 択捉島に向けて掃海艇T-589(176名)、T-590(166名)がサハリンの大泊(コルサコフ)を出港した。(ボリス・スラヴインスキー「千島占領1945年夏」より)
※カタリナ型飛行艇は米ソの極秘協力作戦「プロジェクト・ゼブラ」でアメリカがソ連に貸与した。2隻の掃海艇は米ソ極秘協力作戦「プロジェクト・フラ」でアメリカがソ連に貸し出した艦船である。
択捉島上陸・占領作戦に投入された掃海艇T-589。「プロジェクト・フラ」でソ連に貸し出されたが、アメリカ海軍時代の艦番号YMS-237をそのまま使用している。写真は1945年8月20日、樺太真岡に上陸したときのもの。
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