サハリン沖で米潜水艦に撃沈された海防艦第112号のドキュメンタリー映画制作 ロシア人監督や歴史家らが船体捜索に着手

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終戦直前、サハリン南部の沖合で日本の連絡船を護衛中に、アメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈没した旧日本海軍海防艦CD–112の謎に迫るドキュメンタリー映画を制作中のスタッフが、沈没したと見られる海域で艦艇の捜索を行った。映画は大統領補助金基金の支援を得て、アレクサンドル・ザルチコフが監督を務めている。「アナスタシア岬の謎」と題した映画の発案者は、最近亡くなったサハリンの教師と地元の歴史家アレクサンドル・チェルノコフ。彼らは全長70mの旧日本海軍海防艦CD-112の捜索を提案した。1945年夏、アナスタシア岬沖でアメリカ潜水艦「バーブ」の魚雷攻撃を受けて沈没。乗員199人のうち助かったのは4人だけだった。映画制作者と研究者、歴史家らが7月19日、沈没した艦船の捜索に着手、同時に撮影を開始した。捜索の準備に1年半がかかった。捜索エリアを特定するのに、ザルチコフ監督はアーカイブ情報を研究し、魚雷攻撃の技術も習得した。さらに、事件の目撃者を探し出した。当時6歳のミハイル・シルケティで、艦船がV字の形に半分に折れて沈むのを見た。捜索チームはソナーを使用し、コンピュータ画面で海底の様子を探ったが、悪天候に見舞われたこともあり、発見には至らなかった。ザルチコフ監督は「毎日天気が悪く、予報では1週間先までダメだった。この船で作業を続けることは無理だった。しかし、地元の漁師から、漁の最中に海底で何か引っかかるような場所が3カ所あると聞き、その3つのポイントを教えてもらった」とザルチコフは言う。捜索を支援している歴史家のイーゴリ・サマリンは「これまでアクセス出来なかった文書や資料を分析する必要がある。アメリカと日本の両方の文書を調査している。世界がよりオープンになり、過去の秘密を明らかにしなければならない。その1つがアナスタシア岬の謎である」と話している。(ロシア地理学会ウエブサイト・2020/8/4)

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稚内市ウエブサイトより

 

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