戦前、国後島に住んでいた、ある女性を捜している。きっかけは6月。北方四島在住のロシア人から送られてきた1枚の写真だった。あめ色のくしや髪飾りとともに写っていた三角定規。小刀で彫ったものか、ぎこちない片仮名で「タカハシレイコ」とあった。セルロイド製らしく、黄ばみとゆがみが時を感じさせた。
メールには「持ち主に返したい」とあった。5、6年前に知人が国後島のウエンコタン川にある第1の滝と第2の滝の間の川岸で、食器やビール瓶と一緒に見つけたという。
植古丹(ウエンコタン)は、私の母のふるさとである。2つの滝は近隣の子供たちにとって、泳いだり魚をとったりする格好の遊び場だった。「へぇ~そんなロシア人もいるんだねぇ」–身を乗り出すように写真を見ていた母は、同郷の幼なじみに当たってくれた。
元島民にはソ連軍侵攻直後に自力で脱出した人と、ソ連占領下で2、3年暮らした後、樺太経由で引き揚げた人がいる。いずれにしろ、持ち出せるものは限られていた。ある人は鋸を持って脱出した。住む小屋を建てるのに必要な木を伐り出すためだった。ミシンを分解して布団の中に隠し、樺太経由で引き揚げて来た択捉島民もいた。洋裁が出来れば生計の足しになると考えたからだ。
家であれ何であれ島に残してきたモノは時とともに朽ち果て、埋もれていく。運よく拾われた三角定規。持ち主はどんな人で、なぜ川岸に埋もれることになったのか。女性はその後どんな人生を歩んだのか。三角定規のモノがたりを知りたい。
(北海道新聞「朝の食卓」2020.7.18)
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