今日3月25日の北海道新聞「朝の食卓」に元島民の思い出の中に残る、根室波止場の石畳の話を書きました。弁天島に向かって、かまぼこ型に突き出た石畳の波止場は、人生の様々な事情を抱えた人々が交差した北方四島への玄関口でした。
足裏の思い出
択捉島出身のショウヘイさんから手紙が届いた。根室空襲で米軍に父を奪われ、ソ連軍に島を追われた体験を2月16日付本欄で紹介した。
◆
「島への訪問には体力が欠かせません。悔しい限りですが、これ以上無理は出来ないと自覚。訪問事業への参加は打ち止めと覚悟を決めました」–。2018年、ショウヘイさんは家族で「自由訪問」に参加した。蘂取浜(しべとろはま)に上陸し、先祖が眠る墓地へのお参りを果たした後、安堵したのか、転倒し後頭部を強打した。
◆
「やめ時」–。高齢化する元島民にいつかは訪れる運命の時。歳とともに募る故郷への思いと裏腹に、衰えていく体力。長い船旅、危険が伴うはしけ船への移乗、墓地までの行軍…元島民には過酷な道行きである。4月に92歳になるショウヘイさんにも、折り合いをつけなければならない時がきたのかもしれない。
◆
手紙はこう結ばれていた。「今はコンクリートで覆われてしまった根室波止場の『石畳』は、船酔いに疲れた足で第一歩を踏みしめる大地であり、根室の文化を感じたものです。島には行けなくても、せめて根室へ旅したい気持ちがあります」と。
◆
初めてお会いした4年前、その石畳の話を聞き、北方四島への玄関口として賑わったかまぼこ型の波止場があった本町岸壁を歩いた。進学、結婚、商売、別離、応召、慰安、出稼ぎ、入院…およそ人生のあらゆる事情を抱えた人々が交差し、踏みしめた石畳。足の裏にしみ込んだ思い出。わずかに残る、苔むした石畳が史跡標柱の傍らで、眠っている。
※出稿時の原稿です
コメント