❐北方四島の話題
citysakh.ru 2020/2/26
シグナリヌイ島(貝殻島)はクリル諸島から消えてしまった。小クリル諸島のタンフィリエフ島(水晶島)と北海道の間のソビエツキー海峡(珸瑤瑁水道)の真ん中にある。1936年の夏、この島に日本人エンジニアの三浦忍が設計した灯台が設置された。日本側の調査データによると、島の大きさは700×800 mで、海抜は十分に高く、灯台は島の真ん中に建てられた。1945年、灯台はソ連海軍の水路部の管轄下に入った。 1952年4月17日、サハリン地域評議会の決定により、小島と灯台は「シグナリヌイ(灯台の意味)」と命名された。1945年から1958年まで、灯台は点灯していなかった。その後、日本側の要望により修理された。1963年以来、日本の漁民は、ロシアと日本の政府間および省庁間の協定に従って、昆布漁を行っている。灯台は、太平洋から南クリル海峡への安全な航路を確保するのに役立っている。地球の地殻構造運動は、ソビエツキー海峡の海底の沈み込みと、島の沈下をもたらした。満潮時にはシグナリヌイ灯台の基礎は海面の下に沈む。もはや島ではない。1964年には、灯台はすでに6º傾いていた。前世紀の最強の地震(シコタン地震1994年)は、灯台に重大な損傷を与えなかったが、時間の経過とともに、傾いていった。現在は13ºであり、灯台の安定性にとって深刻な状態だ。1982年、光源として放射性物質ストロンチウム90を活用したRTG(ラジオアイソトープ・サーモエレクトロニック・ジェネレーター:放射性同位体熱電気転換器)いわゆる原子力電池である「ベータ-M」が設置された。RTGの耐用年数は10〜30年といわれる。RTGは、保守点検が難しい遠隔地の灯台などで使用された。今、灯台は荒廃している。不均一な沈下が発生し、年々傾きが急になっている。灯台が倒壊すると、シグナリヌイ島は影も形もなくなる。(著者オクサーナ・リズニッチ)
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