北方領土ノート
『対日戦争に向けた米ソの極秘プロジェクト』…②
プロジェクト・フラでソ連に145隻の艦船を貸与
もう一つの「プロジェクト・フラ」はヤルタ会談直後の1945年2月中旬から9月にかけて、ソ連の対日参戦の準備のため、アメリカのアラスカ州コールドベイ基地で実施された米ソ合同の極秘作戦だった。これが北方領土の運命にも大きくかかわってくる。
アメリカはソ連が対日参戦に必要としていた艦船145隻を提供するとともに、ソ連兵1万2000人に対して最新の艦船や機器の取り扱いに関する習熟訓練を行っていた。
きっかけは、1944年12月、ソ連艦隊のアラフソフ参謀長が、アメリカの軍事ミッションを務めていたオルセン海軍中将に、ソ連太平洋艦隊を強化するために必要な船舶と物資のリストを提示したことだった。
マイルポストは大陸の満州向け、フラは島嶼部の上陸作戦のための支援
オルセンは艦船の貸与だけでなく、乗船するソ連兵の訓練をセットにしたプログラムが必要と考えた。マイルポストが満州など大陸での戦争を想定した広範な物資の備蓄だとすると、プロジェクト・フラは島嶼部への上陸作戦を想定してソ連の太平洋艦隊を増強するための支援ととらえることができる。
ヤルタ会談では、訓練と引渡し場所がアリューシャン列島のコールドベイに決定した。そこには廃止されたアメリカ海軍の基地が残っており、その施設を活用できることや、周辺に居住者が少なく秘密保持の面からも好都合だった。
当初の計画では180隻の艦船をソ連に移送することを目標とし、訓練期間は大型艦船で45日、小型艦船で30日と想定されていた。ソ連兵のための居住区をはじめ、ラジオ局、映画館、兵士たちからヤンキースタジアムの愛称で呼ばれることになるソフトボール場も整備された。
(2019年12月30日放送TBS「報道の日」より)
4月10日から5間、毎日500人がソ連の商船でコールドベイに移送され、16日から最初の訓練が始まった。新型の上陸用舟艇や掃海艇、護衛艦などの艦船の操船、搭載されているレーダーやソナーなどの最新機器の操作を習得するため、ソ連軍将校220人、兵士1,895人が参加した。ソ連兵はレーダーとソナーについてほとんど知識を持っていなかった。
コールドベイでは、アメリカ軍スタッフが常時1,500人で対応した。訓練の効果を高めるため、米ソのスタッフが協力してロシア語の操作マニュアルなどを作成した。
初めての引き渡しは1945年5月28日だった。訓練を終了したソ連兵が乗り込んだ掃海艇8隻がコールドベイからカムチャッカ半島のペトロパブロフスク海軍基地へ向かった。5月30日に9隻、6月7日に10隻が続いた。
移送コースはアリューシャン列島の北側に沿って、島伝いに途中で補給を受けながら進み、アメリカ海軍の護衛艦がアッツ島北西沖まで護衛し、ペトロパブロフスク海軍基地から迎えに来たソ連の護衛艦に引き継いだ。こうして7月末までに、計画していた180隻のうち100隻がソ連に移送された。
ソ連が対日参戦した8月9日以降も訓練は続いた。コールドベイではソ連側が艦船の早期の引き渡しを迫っていた。アメリカは、訓練期間を短縮してできるだけ多くの艦船を移送することに努めた。8月25日に3,700人のソ連兵の最後の沿岸訓練が完了し、コールドベイで訓練されたソ連兵の総数は将校750人を含め12,000人に上った。
9月2日に東京湾のミズーリ艦上で日本が降伏文書にサインをした日、2隻のフリゲート艦がソ連側に引き渡され、9月4日にも4隻が移管された。その翌日、ソ連軍は北方領土の占領を完了した。
アメリカからソ連に引き渡された艦船は、掃海艇 55隻、駆潜艇 32隻、上陸用舟艇 30隻、護衛艦28隻の合わせて145隻となった。(リチャード・ラッセル著「プロジェクト・フラ 日本との戦争のための米ソ極秘協力」の艦船一覧表による)
プロジェクト・フラの期間中、4月12日、ナチス・ドイツと戦っていたソ連をレンド・リースによる大量の物資で支え、日本との戦争に引き込むためにマイルポストやプロジェクト・フラという極秘作戦を立ち上げ、ソ連が望むものを提供してきたルーズベルト大統領が死去した。ソ連への移管に向けて訓練中だった上陸用舟艇USS -551は半旗を掲げて哀悼の意を表した。
ルーズベルトの後を引き継いだのは副大統領のトルーマンだった。ソ連に対して厳しい姿勢を示していたトルーマンの登場で、つかの間の米ソ蜜月は終わり、日本との戦争における、アメリカの対ソ政策は様変わりしていく。
「プロジェクト・フラ 日本との戦争における米ソの極秘協力」を著したリチャード・ラッセルは「プロジェクト・フラは、第二次大戦で最も野心的で、成功した米ソの協力プロジェクト」と評価している。
(2019年12月30日放送TBS「報道の日」より)
プロジェクト・フラによって、ソ連に引き渡された艦船145隻のうち、上陸用舟艇や掃海艇、護衛艦11隻が1945年8月28日から9月5日までに行われた北方四島上陸・占領作戦に使用された。
北方領土で穏やかに暮らしていた島民は、自分たちがまったく知らないところで、ふるさとの領有がやり取りされ、アメリカが求めたソ連の対日参戦によって、父祖伝来の島々を追われることになった。
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