北方領土ノート
『太平洋戦争の勃発からヤルタ会談まで』…⑤
スターリンが千島を欲しがった理由
それほどまでにして、スターリンが欲しがった千島列島、その意味はどこにあるのか–。日本が降伏文書に署名した1945年9月2日に、スターリンはラジオを通じてソ連国民に呼びかけた。演説の前半では1904年の日露戦争で南樺太と千島列島を失い、太平洋へつながる東の出口を塞がれたこと、そして、日本が繰り返し極東に進出してきたことを語った後、スターリンは南樺太と千島列島を領有したことの意味を説いている。
(日本の降伏によって)南樺太と千島列島がソ連にうつり、そして今後はこれがソ連を大洋から切りはなす手段、わが極東に対する日本の攻撃基地としてではなくて、わがソ連邦を太平洋と直接にむすびつける手段、日本の侵略からわが国を防衛する基地として役だつようになる
スターリンは、将来、日本が軍事的に復活することを想定し、ソ連の安全保障を強化する観点から太平洋への出口を確保し、千島列島が日本の攻撃基地ではなく、日本の侵略からソ連を防衛する基地になると意義を語った。
千島列島の安全保障上の価値については、先にふれたブレイクスリー報告書の中でアメリカも分析していた。報告書は、千島列島の安全保障上の重要性をこう指摘していた。
①千島列島は日本とソ連の間に連鎖し、防衛及び攻撃双方の基地を提供している結果、両国にとって戦略的に重要である。
②千島列島は太平洋からオホーツク海、沿海州地方への接近に対して、軍事的煙幕を形成しているので、ソ連にとって重要である。
③千島列島はアリューシャンと日本国間の大圏航路の上に位置しているのでアメリカにとっても重要である。
スターリンの領土的野心の本質は、太平洋への出口を確保し、南樺太、千島列島を太平洋から接近する敵に対して煙幕を形成する砦と位置づけて、ソ連の安全保障をより確実なものにすることにあった。
スターリンが予想した、日本の軍事的復活という見通しは当たらなかったが、戦後の冷戦時代を通じて、そしてソ連からロシアに変わった今もなお、千島列島はアメリカに対する地政学上の煙幕の役割を果たしている。その意味で、アメリカにとっても千島は決して小さな問題ではなかった。
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