❐北方四島の話題
サハリン・インフォ2019/1/21
択捉島のクリリスク(紗那)にある図書館で、歴史クラブの子供たちが島の歴史を学ぶ催しが開かれた。この日のテーマは、太平洋を49日間漂流し、生還を果たしたソ連軍の「4人の勇者」の物語で、地元紙「赤い灯台」のガリヤ・クンチェンコ氏が講師を務めた。物語は1960年1月17日、カサトカ湾(単冠湾)から始まった。単冠湾に停泊していた、はしけT-36が暴風に見舞われ太平洋に流されてしまった。船に21歳のAskhat Ziganshin伍長ら4人が乗り組んでいた。無線は失われ、エンジンも故障した。食糧は缶詰などが2日分とバケツ2杯のジャガイモだけ。16日目に缶詰がなくなり、2月末にはすべての食糧が底をついた。伍長たちは石鹸と歯磨き粉をなめて飢えをしのぎ、それも尽きると革のベルトと靴を細かく切り刻んで口に運び命をつないだ。アメリカ空母のヘリコプターに発見された時には、択捉島から1600kmも離れた太平洋上にいた。米軍に救助された4人は、サンフラシスコ、ニューヨークで大歓迎を受けたが、アメリカに留まることなく帰還した。集いを開催したナタリア・エフツシェンコ館長が伍長の消息を調査したところ、本人は2017年に亡くなっていたが、娘と孫がストレルナ市に住んでいることが分かった。ちなみに単冠湾は1941年にハワイの真珠湾を攻撃した日本軍の艦隊が出撃した場所である。そして1968年には、単冠湾に面したペトレル空港(天寧飛行場)にソ連の領空を侵犯した米軍チャーター機が強制着陸させられた事件もあった。これらはすべてクリル地域の歴史であり、それを学ぶことは意義深いことだ。
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